転転飯店とでかい墓石
転転飯店のコント公演『スケスケ・ア・ゴーゴー』を観に行った。
涙が出るくらい笑った。本当におもしろかった。
劇場も満員で、全ネタばっちりウケていた。
平山犬(大学の後輩かつ、お友達)が書くコントが好きなので、たくさんの人が見るようになり、勝手に僕も嬉しい。
彼は、「人をいやな気持にさせたくない」という願いと、「なにがなんでもウケたい」という欲求を、矛盾することなく脚本にできるヤバい人間の一人だ。
その二つを両立させることは異常に難しいにも関わらず、なんかずっと飄々とやってのけている。
衝撃を受けたのは中盤、舞台の転換時であった。袖から、でかい墓石が出てきたのだ。
小柄な人間サイズくらいの、リアルで存在感のある小道具の登場。
なぜか感動してしまい、「ウワー」とちっちゃい声がでた。
前の公演ではきっと作れなかったであろう、でかい墓石。
前よりスケールアップした劇場だからこそ映える、でかい墓石。
そんなでかい墓石を、中村くんが抱きしめ、横倒し、一心不乱に掃除している。
めちゃくちゃ面白かった。物理的にでかい墓石が”そこにある”からこそだ。
前ならマイムでやっていたであろうネタが、でかくてリアルな小道具を使ってできる。
成功の基準は人それぞれだし、上を見上げたらキリがない。
けど、「でかい墓石を好きにできるようになった」は、まぎれもなく成功の証だ。
応援している二人が、好きなことをやって成功するのは、ただただ嬉しい。
そのうちワイヤーで空飛んでほしいな。
ブログ質疑の夜
あいさつ中学校
僕の通っていた中学校は妙にビーバップな世界観を引きずっており、転校初日に先輩に殴られた。
「挨拶がない」という理由だった。
理不尽すぎて驚いた。アライグマくんじゃないんだから。
ビンタを喰らいつつ、「挨拶がないと、なぜ殴ることにつながるのか」と聞いてみたところ、先方にも以下のようなロジックがあることが判明した。
①挨拶がない。
②ということは上級生をナメている。
③ナメられると他の下級生に示しがつかない。
④示しがつかないので、お前を殴るのはしょうがない。
とのことであった。いま、”しょうがない”で殴られてるのかよ。
そもそも、こういうビーバップなロジックは、ビーバップな人たちに適用されるべきなのではないか。
当時の僕はビーバップどころか、ギターがちょっと弾けるサツマイモみたいなもんである。
サツマイモの「おはようございます!」がそんなに欲しいか?
サツマイモに挨拶されているところを見て、「なるほど、アイツはナメられてないなあ」と他のビーバップは思うのか?
そういった反論を一応してみたところ、「思うんだよ!」と言われ、もう一発ビンタを食らった。
思うのかよ。
翌朝、エントランスでその先輩が張り込みをしていた。そこまでやるのか。
もう殴られたくないので、「おはようございます~」と挨拶したところ、「おう」とだけ返された。僕には目もくれず、校門方面を睨みつけていた。
なんだ? 狙いは僕じゃないのか?
いぶかしんでいると、同じクラスの学級委員が僕に教えてくれた。
「寒川くん、いま近づかない方がいいよ。同級生のKが、アイツ怒らせちゃって。Kはいま、裏山を逃げ回ってるんだ。」
先輩の興味は完全にKに移ったらしい。
僕は翌日から先輩に挨拶するのをやめてみたが、お咎めは無かった。なんなんだ。
いま現在、その中学校に通う子に話を聞いたところ、ビーバップな雰囲気は皆無らしい。
その代わり、登校時に通りすがる車に「おはようございまーす!」と挨拶する習慣があるそうだ。
極端な地域だなあ。
ミッキー7
“テセウスの船”という思考実験がある。
偉大な英雄・テセウスが遠征に使った船は、後世のために大事に保管されていた。
しかし、経年劣化は避けられない。
ある日、傷んだ木材を修理のために交換した。あくる日は、破れた帆を交換した。
そのように修理と交換を繰り返し、100年経ったころには交換していない部品はひとつもなくなった。
見た目は100年前とまったく同じ船だ。しかし、本当に同じ船と言えるのだろうか?
『ミッキー7』(ハヤカワ文庫SF)の主人公、ミッキー・バーンズは”テセウスの船”を地で行く人間だ。
物語開始時点でミッキーはもう7回死んでいる。
死ぬたびに新しい肉体が作られ、”前の”ミッキーの記憶をインストールされて蘇り、また死地へと赴く。それが彼の仕事なのだ。
死んだミッキーと、新たに蘇ったミッキー。
さて、彼らは同一人物だろうか?
『月に囚われた男』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のようなハードな世界観と発想のSFだが、面白いことに主人公のミッキーはアホだ。
軽薄、厭世家、そして浅慮。
タフな性格だから死が平気なのではなく、あんまり真面目に考えてないのだ。
特別なスキルもなく、行き当たりばったりの生き方で、生死どころか自身の同一性まで他人に明け渡している。
何度も何度も死ぬ。仮初の不死身人生から抜け出せない、徹底的な”持たざる者”。
そんな彼を待ち受けるのは、絶対起きちゃいけない大ピンチだ。
果たして人生終わっちゃうようなピンチを、人生を変えるチャンスにできるのか。
がんばれ、ミッキー!
『ミッキー7』 はそんな小説だ。読んでいて楽しかった。
ところで、本作をポン・ジュノ監督が映画化するそうだ。最高。
タイトルは『ミッキー17』となっていた。
さらに10回死ぬらしい。がんばれ、ミッキー。