まずは、感謝から。こんなに良いものを見せてくれて、ありがとう。
それしか言う言葉がみつからない。
『ブランド・ニュー・デイ』(以下『BND』)において、ピーターはいろんな連中と闘っていた。
ザ・ハンド、ブーメラン、ニムロッド、タランチュラ、スコーピオン。
さらにはフランク・キャッスル(パニッシャー)と一悶着あるし、終盤はハルクとぶつかる白眉のアクションシーンもある。
そして、ジーン・グレイ。最終的にはダメージ・コントロールの面々と、実にバラエティ豊かな奴らと肉弾戦を繰り返す。
が、これらすべては、映画を構成するパーツに過ぎない。ピーターはさらに大きいものと対峙していた。
孤独だ。
正確には、孤独の末に発露する、加害性そのものとの闘うストーリーだ。
なぜパニッシャーとハルクなのか
発達した腕の筋肉を、GUNS(銃)と呼ぶスラングがあるらしい。
どちらも暴力を強く連想させる、あからさまなパワーの象徴だ。
今作には、たくさんのキャラクターが登場する。他作品からもゲストキャラが登場するが、特に目立つのはパニッシャーとハルクだ。
フランク・キャッスル(パニッシャー)は家族をマフィアに殺されたことにより、心を失調したおじさんだ。
重火器を両手に持って暴れまわり、反社会的勢力を殺害することを厭わない。
フランクは孤独で、暴力に憑りつかれている。
温厚なブルース・バナー博士は、ストレスを受けると別の人格が表出し、緑色の巨人”ハルク”に変身してしまう。
無軌道に暴れまわるハルクを、ブルースは抑制装置で抑え込み、決して現れないように細心の注意を払う。
愛する人は離れているか、もしくはこの世にいない。
ブルースは孤独で、抑圧された暴力の権化を内に秘めている。
パニッシャーはタフで、ハルクは無敵だ。弱音を吐かず、敵に容赦ない「男らしさ」を存分に発揮する二人。
実際、どうだろう。銃と筋肉。
それらは、あるシチュエーションに置いて頼りになるだろう。戦時中とかね。
だからこそ、まったく礼賛したくない。誰だって傷ついたら泣いていいし、勝ち負けは遊びやスポーツで十分だ。
パニッシャーとハルクの力を、『BND』では「正しいパワー」として扱わない。彼らの力は孤独が呼び込んだ悪夢だ。
変身した瞬間、「バナーもいない、あの女もいない。ハルクひとり」とハルクはつぶやく。
ハチャメチャに暴れるハルクを正気に戻すのは、「僕はあなたの友達なんだ」というピーターの言葉だ。
あのときのハルクの顔。ハルクとブルースが混じりあったような、悲しそうな瞳。彼は力を抜いて、落下していく。
一人ではない、と理解した瞬間、明らかにパワーを手放すのだ。
フランクはといえば、全編において銃をブッ放し続けている。すぐ「殺す」とか言うし。暴力おじさんとして面目躍如たる活躍ぶりだ。
しかし、終盤において、フランクは誤射をする。ピーターにほとんど致命傷を負わせてしまい、多大な後悔とともに、彼を抱えて病院に駆け込む。
フランクはもちろんスパイダーマンの正体を知らない。だが、「ガキ(Kid)」と呼ぶくらいには彼が若者だと理解している。フランクの子供が生きていたら、きっとピーターくらいの歳だったであろうことは、フランクが想起していないわけがない。
ピーターが昏睡から目を覚ました時、彼らはジョークを言って笑いあう。ピーターが「僕と君は友達?」と聞くと、フランクは「そうだな。友達だ」と答える。
個人的な希望として、ここがパニッシャーの終点であって欲しい。
彼は壊れ、傷つき、孤独ゆえに暴力から逃れられない人だ。だが、それはパニッシャーとしてのペルソナで、本当のフランクではない。子供を愛する愉快なパパだった時が、彼にはあったはずだ。
ピーターの目の前で優しく微笑み、彼を病院から脱出させるために「自らがピエロになって人々の気を惹く」という、かなり穏当な作戦を実行した、彼こそがフランク・キャッスルだと信じたい。
そう願うほど、希望にあふれたシーケンスだった。
孤独を手放したとき、力もまた手放すことができる。
そして彼らの力は、手放すべきものとして描かれている。
二人とも傷ついていて、それを望んでいるからだ。
スパイダーマンの力は”正しい”?
では、ピーターの力は”正しい”のだろうか。
彼も、力を手放すべきなのでは?
前提として、ピーターは素手でバスを止められるレベルの腕力を持っている。
たいていの犯罪者やヴィランはピーターほど強くないため、力を常に制御し、ウェブ(糸)をうまく使って、なるべく相手にダメージを与えないようにしている節がある。
が、今回はもう大変だ。
数年間の徹底的な孤独の末、それを象徴するような出来事を目の前にして、ピーターは爆発する。彼の場合、肉体の変異としてそれが現れる。
スパイダーパワーはさらに研ぎ澄まされ、手首から直接ウェブが発射できるようになるが、ピーターはそれを制御できない。
(余談だけど、あからさまに性的なニュアンスがあると思う。MJに新しい恋人ができたことがきっかけで、肉体的な衝動が抑えきれなくなる。この辺まとめて男性性のメタファーだろう。いや、4年もよく頑張ったと思うよ)
ハルクやパニッシャーは、力を抑えきれなかったピーターの未来だ。
他者を拒絶し、暴力の行使に麻痺した姿。それは、スコーピオンをボッコボコにしてしまうシーンに集約されている。積極的に相手をブン殴り始めた瞬間、彼は信頼しあっていた警官たちから白い目で見られる。
彼は必死で制御装置を作り、自分とジーン・グレイのパワーを抑制しようとするが、それは本質的な解決にはならない。(そもそも、他人のパワーを抑制しようとするのは思い上がりだ)
ネッドとMJと、もう一度友達としての時間を過ごしたことが、ピーターを救うのだ。
美しいねえ!!!
自分の中に新しく生まれた力に折り合いをつけた結果、対峙するザ・ハンドの忍者たちを「糸でくるむ」のが象徴的だ。
腕力でたたきのめす事もできるのに、彼は「ピーター・パーカー」であり、同時に「スパイダーマン」だからそうしない。
常に最も傷つけない手段で解決することを模索し続けるから、彼の大きな力は「正しいもの」として描かれる。
孤独はもうええでしょう
『BND』は、孤独に厳しい。
ジーンがMJを乗っ取ってピーターにキスするシーンは、これ以上ないほど残酷だが、あれはピーターへの罰だ。
仕方がない状況下だったとはいえ、ピーターは自ら孤独を選んだ。それに対する罰と僕は捉えている。
だからこそのラストシーンだ。ピーターはネッドを素通りしようとしたが、思い直して彼に話しかける。
先ほどとは逆で、孤独ではない道を積極的に選んだ。そんなピーターにとって何よりも素敵なプレゼントが、あのフィストバンプ。
ネッドの記憶が戻ることだ。
ネッドの記憶がすべて戻ったかは諸説あるが、中盤のMJとの対比という意味では、記憶が戻ったと考えるのが自然だと思う。なあ、その方がいいって。ピーターかわいそうじゃん。
さらには、ジーン・グレイにも罰が当たる。
彼女がピーターに行ったことは本当に残酷だ。
彼の恋人が彼を思い出した、苦労が報われた、と思った瞬間に、精神を乗っ取ったジーンが最低のネタバラシをする。
他人の苦労をあざ笑った彼女には、相応の報いが突きつけられる。『V-max』だ。
姉の失踪に関わっているキーワード『V-max』をなりふりかまわず追い続けたが、それはただの換気扇のメーカーの名前だった。彼女の姉が見た最後の光景。
彼女の苦労は報われず、能力は暴走する。
ジーンを救うのは、メイおばさんだ。彼女に必要だったのは、親身な大人だった。メイおばさんはこの世にいないが、ピーターの中に生きている。
「自分を大切にすることが、なによりの責任」と説く彼女の言葉で、ジーンは人を傷つけるために能力を行使しなくなる。瀕死のピーターの命を繋ぐために力を使うようになるのだ。
彼女の物語はこれから始まる。大きな力は、壊すことにも守ることにも使える。
孤独に苛まれて壊すだけだった彼女は、ピーターと関わったことによって、きっと良い方向に向かうのだろう。
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というような話を、妻とか、MURABANKU。の土屋くんとか、なんならまだ観てない人にもオブラートに包んで話しては、セルフで勝手に泣きそうになっている。
この二週間ずっとそう。
つまり、話せる相手がいる、ということだ。本当にありがたいね。


