ちはやさん

地下アイドルがやっているウェブ番組の、構成作家のバイトをしていたことがある。

みなさんが思っているより、もっとずっと地下のやつ。担当していたアイドル達が10年サバ読んでるのは当然だったし、貞操観念は限りなくゼロに近かった。アイドルとして売れる気があるのかすら微妙なところだったが、雑なりに楽しそうにやっていた…んじゃないかと思う。

しかし、そんな爛れた空気に組しないメンバーが、一人だけいた。
ちはやさんだ。

他メンバーが様々な(大半は下ネタ)話題で盛り上がっていても、”キッッッ”とひと睨みするだけで、決して加わろうとはしなかった。「軽蔑しています!」という態度を隠そうとしないどころか、まっすぐにぶつけるタイプなのだ。メンバー内では、かなり浮いた存在である。
それだけならば「真面目なんだね」で済む話だったのだが、困ったことにちはやさんは【スタッフのあらゆる指示を聞かない】というストロングスタイルのアイドルだった。

「じゃあここのダンスなんですけど…」
「イヤです。踊れません。」
「トークコーナーで地元の話を…」
「喋れないんで。無理です。」

おい、帰ってくれ。頼む。
そう言いたくなる気持ちをグッとこらえて、「じゃ、どしましょ…。」と情けないスマイルを浮かべることしかできない。バイトだから。
ちはやさんの返事は、いつも決まってこうだった。

「歌わせてください。わたしの目標は、アイドルじゃなくて歌手なんです。歌が、命なんです。」

そんな風にソロで歌うコーナーを無理やり作るのだが、ちはやさんには致命的な弱点があった。
音程が取れないのだ。声が細く、ロングトーンがエグい揺れ方をしてしまうのだ。
絶対にボイトレに通え、命なんちゃうんけ、と強く思っていたが、彼女はなぜか独学にこだわっていた。ドブに捨ててくれ、そのこだわり。
ちはやさんが歌うとコメント欄が微妙に荒れるため、本人になるべく放送は見せないようにしていた。

ある日、事件が起きた。番組のリハ中に、ちはやさんが泣き出してしまったのだ。
事情を聞くと、なんと僕のせいであった。番組冒頭でメンバーがショートコントを演じるのだが、その日の脚本担当は僕だったのだ。
【大物女優の楽屋に若手アイドルが挨拶に行ったら、女優が死んでいて…】というような内容だった。

「演技とはいえ!人が死ぬなんて、ひどいですッッ!!」

ちはやさんにそうなじられた。僕がマジの人殺しをしたかのような剣幕だ。

「もういいです。参加できません、こんなの!」

踵を返し、ちはやさんが楽屋に戻っていく。お前一度も参加したことないし、今日も見学してただけだろと思いながら、彼女の背中を見つめることしかできない。
「あ~あ~、泣かせちゃったねえ。」
「寒川さん、謝りにいったほうがいいですよ~~。」
他のメンバーが、心の底から楽しそうに僕を挑発してくる。こいつらが一致団結するのは、下ネタか他人を攻撃するときだけだ。「本日のエンターテイメント」としてこの出来事が消費されようとしているのが、本当に腹立たしい。

仕方が無いので、楽屋を訪れた。ちはやさんは、まだスンスン泣いている。

「あの、さっきは…。」

「寒川さん。私、アイドル失格でしょうか。」

正気か、こいつ。もしかして、なにか独白しようとしてないか。僕、ただのバイトなんだが。

「みんなと歩調も合わせることもできない。私にできるのは、歌うこと。それしかできないんです。」

ちょいちょいちょい。バイトなんだが!?絶対にプロデューサー相手にやってくれ。僕に言われても「なるほど…。」しか返せないって。
そんなこちらの思いとは裏腹に、ちはやさんはアンニュイな表情をこちらに向け、瞳を閉じた。彼女にしか分からない決意を胸に秘め、ひとつ深呼吸をする。

来る。なにか大きい、大きい独白が来るッッッ!

「ねえ、寒川さん。私、昔… 弟を、事故で亡くしてるんです。」
えっ、重っ。
「そのせいで、両親の仲もずっと悪くて。私、家だと居場所が無くて…。だからかな(微笑)。人との上手な関わり方が、わからなくなっちゃったんです。」
えっ、えっ。
「弟は、私の歌が大好きでした。だから私、歌い続けているんです。天国の弟に届くように…。」
ええっ。

「そんなことがあったから、人の死、っていうものに人一倍敏感になってしまって…。」

「そうだったんですね…。」

そうだったんですね、以外の言葉が見つからなかった。じゃあもっと歌上手くあれよ、と心の中の悪鬼が囁くが、口に出して言うほど外道ではない。

「すみません、事情を知らずに無神経なことをしました。コントは無しにして、今日の構成は変えましょう。」
精一杯神妙な顔を作って僕がそう言うと、ちはやさんはフフッと笑った。
「弟のこと、初めて他人に言いました。寒川さんて、思ってたよりずっと話しやすいですね。」
「ああ、どうも…?」
「なんだかスッキリしました。収録、頑張りましょう!」
一転、晴れやかな態度になったちはやさんが、楽屋を出ていく。残された僕は、なんだか釈然としない気持ちを抱えていた。

いま、本当になにかが解決したんだろうか?
一連の出来事の、妙な違和感が頭を曇らせる。言うなれば、不気味な何かの”歯車”にされたような…。

しかし、そんなことよりも今は番組だ。一刻も早く現場に戻らなくては。
モヤモヤを振り払い、僕も楽屋をあとにした。そして、この一件のことをすっかり忘れたのだ。

さて、みなさんは『アイドルマスター』というゲームをご存知だろうか。アイドル育成ゲームの中でもトップレベルに有名なタイトルで、何度もアニメ化・映画化されている。

僕がその存在をちゃんと知ったのは、地下アイドル関連のバイトをやめた数年後だった。

ある日の飲み会で、友人の一人が最近になって『アイマス』にハマったと言う。サブスクでアニメを一気見したそうだ。最初のアニメシリーズが放送されてから幾年も経っているが、色褪せない魅力があるとのことだった。

当時のテレビアニメの公式サイトを見せながら、その友人は”推し”について熱く語った。

「やっぱりみんな応援したくなるんだけど、特にこの子なんだよな!」

彼がキャラクター一覧のアイコンをタップすると、髪の長いクールな印象の女の子が表示された。

「この子!如月千早はいいぞ。」
へえ、如月千早。きさらぎ、ちはや、ね。

「歌がうまいんだよ、とにかく。歌一筋っていうのかな。ストーリーの最初の方なんか、歌以外の仕事はしません!みたいな勢いでさ。」
ん?

「けっこう他のメンバーとは相容れない感じなのよ。アイドルはただの踏み台で、歌手を目指してたからさ。」
んん?

「ストイックすぎる性格の裏には、実はけっこう悲しい過去があるんだよ。」
おや????

 「言っちゃっていいのかな。千早は家庭に居場所がなくてさ、両親が不仲なんだけど」

「弟が、交通事故で死んだから?」

 僕が思わずそう言うと、友人は満面の笑みを浮かべた。

「なんだよ、寒川も知ってんじゃん!」


ちはやさんがグループに加入したのは、如月千早が登場するアニメが放映された、およそ半年後だった。
加えて、「ちはや」という芸名は、ちはやさん本人が希望したと聞いている。

彼女が今どうしてるかも知らないし、メチャクチャ怖いから真相は知りたくない。

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