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悪夢のアムネジア

ゴツン。

後頭部に衝撃が走り、居眠りから目が覚める。

どうやら背面の壁に頭をぶつけたらしい。壁…。いや、待て。この壁はなんだ?

そのとき、記憶が綺麗さっぱり無くなっていることに気がついた。
ここはどこ。俺は誰。

行きかう人々の声が、ボワボワと抽象的に聞こえる。だが、なにも聞き取れていない。それらが言葉だとは思えない。

パニックになってしまう前に、俺はとっさに耳をふさいだ。

よし、とにかく、落ち着こう。
いま座っている、この長椅子は? おそらく…ショッピングモールのベンチだろう。

そうだ、そうに違いない。

一呼吸して、ゆっくりと顔をあげる。
耳から手を離すと、

「…うん、先にフードコート行ってるから…」「ええ、違うよォ、メガネのさぁ…」「…このガチャガチャさっきもあったな…」

よし、日本語が入ってくる。ここは日本。間違いなくショッピングモール。

となると、周りに置かれた幾つかの紙袋は、俺が買ったものなのだろうか。

ヴーッ。ヴーッ。ヴーッ。

突然の振動音に、思わずビクリと肩が震えた。紙袋の中から聞こえてくる。

スマホに着信が来ているのだ。紙袋を手繰り寄せ、何かの詰め合わせ箱の上に置かれたiPhoneを掴む。《恵美》と表示されているが、当然覚えがない。

一瞬悩んだが、出てみることにした。

「も、もしもし?」

「もしもし、じゃないでしょ!いま何時だと思ってんの?」

若い女性の声だった。俺と同い年ぐらいなのだろうか。というか、俺は何歳だ?

「とにかく、急いでアタシを迎えに来て。お父さんとお母さん、待たせたらヤバいのわかってんでしょ。ちゃんとお土産買ってるんだよね?」

「え、ええーと、そう。買ったよ、買った。ちょっと手間取っちゃって。ごめん。」

《恵美》の剣幕からして、あまり状況は良くなさそうだ。とにかく謝ってみることしかできない。

「じゃあ、もう来れるでしょ。急いでよ。そこのモール、結構郊外じゃん。今から出たってギリギリなんだから。」

「わ、わかった。」

「あと、ガソリンちゃんと入れること。身だしなみも最終チェックしてよ、結婚の挨拶なんだから。じゃ、待ってる。」

「あっ、ちょっと! あの」

電話が切れた。耳にスマホを当てたまま、体は固まったように動かない。
俺の名前も、年齢も分からない。しかし、大ピンチであることだけが分かった。

とにかく紙袋を引っ掴み、弾かれたように立ち上がる。
歩きながらスマホを操作してみるも、ログインできない。パスコードが思い出せない。
待ち受け画像は『親指タイタニック』のポスターだった。憎たらしすぎる。どんなユーモアセンスで生きていたんだ、俺は。

ポケットをまさぐると、駐車券とトヨタ車のキーが出てきた。
自動精算機に勢いよく駐車券を差し込み、1160円という半端な額を支払う。
ああもう、お釣りが多い!! クソが!! もどかしい!!

小銭をすべてポケットに突っ込んで、ジャラジャラとやかましく俺は走る。

「P(駐車場)」の矢印を追った先は、モールの外であった。

目の前にそびえたつのは、『ベイモール 立体駐車場 P1』。

その看板に、デカデカと『1000台駐車可能!』と書いてある。

震えながら周囲を見回すと、『ベイモール 立体駐車場 P2』。そして『ベイモール 立体駐車場 P3』。『P4』。

それぞれが1000台を収容できる、らしい。

ハアッ。ハアッッッ。

自然と息が荒くなっていく。4000台の中から、俺の車を、どう探せというのだ。

記憶がないのに!

しかし、諦めるわけにはいかない。俺と、俺の婚約者(たぶん)の未来がかかっているのだ。

フラフラと『P1』へと走り出す。

トヨタのキーはどうやら無線式だ。開錠のスイッチを押しながら、しらみつぶしに行けば、あるいは。

どうにかして、今日を乗り切るのだ。こんな不運で、人生を棒に振ってたまるか。


関東最大級のショッピングモール《ベイモール北晴浦》へようこそ!

《ベイモール北晴浦》へは、お車でのアクセスが便利です。

P1~P4(北駐車場)P5~P8(東駐車場)P9~P11(南駐車場)、さらに地下・屋上・平面駐車場あわせて、15000台駐車することが可能です。

入庫のストレスゼロを目指して、さらなる駐車場の拡大を計画しております。

心ゆくまで、《ベイモール北晴浦》でショッピングをお楽しみ下さい!

(了)

砂時計

父が車のウインドウから腕を出し、砂を捨てた。私が6歳のときの記憶だ。

人通りの少ない住宅街。砂はキラキラ輝いて空中に消えていく。後部座席の窓ガラス越しに、私はそれを目撃している。

サラサラ。サラサラサラ。サラサラサラサラ。いや、多くない???

全然終わらない。なにが起こっているのか分からなくて、そっと運転席の父の顔を伺う。完全な無表情。

チャイルドシートから少し身を乗り出して、父の右手に目を移す。まだ砂出てる。
父の手は確かに大きいが、そんな量の砂が格納されてるわけがない。

そもそも、なんの砂? まるでテレビで見た沖縄のビーチみたいに、真っ白できれいな砂に見える。
だが、いまはコープで洗剤を買った帰りだ。コープで砂、見たことない。

「お父さん、それなに?」と聞けば済む話だが、子供ながらなんとなく気が引けた。本当に海の砂に見えたから。

父は、砂浜がとても嫌いなのだ。なぜかは知らない。最低の思い出がある、らしい。

その苦手ぶりは筋金入りで、ディズニーシーがワイドショーで特集されているだけでチャンネルを変える。あそこに砂浜ないのに。
『プライベート・ライアン』も観ない。冒頭に海岸での戦闘シーンがあるからだ。
人がグロく死んでいく様子より、そのロケーションが駄目らしい。

パッパッ、と右手をグーパーさせたあと、父は窓を閉めた。終わったようだ。

「なあ、美伊子。」

急に声をかけられて、私はハッとする。
不思議と緊張してしまう。別に悪いことはしてないのに、なんとなくバツが悪いのはなぜだろう。

「なに、お父さん。」

「あのさ、やっぱりお昼、外で食べない? 国道沿いにフレッシュネスバーガーっていうお店が出来たんだよ。お父さんとそこでハンバーガー食べないか。」

えっ、ラッキー。

突然のハンバーガーチャンスに、すべてを忘れて心が躍ってしまった。砂とかどうでもいい。

「マックナゲットあるかな?」

「あるかもよ。」

父は笑いながらハンドルを切った。

 

******

 

父が運転する車の助手席で、その記憶がよみがえった。はるか昔、ほとんど30年前くらい。そんな奇妙な体験をした、ような。

平日でもそれなりに埋まっているパーキングに、父は妙にゆっくり駐車する。二人で車を降りると、生暖かい風が私たちを迎えた。

鎌倉の海岸に、私たちは初めて親子で訪れたのだ。

 

ここに到着するまで、会話らしい会話もなかった。

会うのも数年ぶりなので、積もる話は一応あるのだが、どれも楽しいものとは言い難いせいで、自然と口も重くなる。

好きなアニメの劇場版が制作中止になったこと。熱帯魚を育ててみたけど全然うまくいかないこと。結局子供はできなかったこと。離婚したこと。

別に落ち込んでいるわけではない。私は元気です。気が重いだけ。

一人暮らしの手筈も整っているし、仕事もうまくいっている。元夫と関係が悪いわけでもない。

センチメンタルな気持ちや、相談ごとがあって父に会いに行ったのではないのだ。
ただの気分。
人生が変わる節目ですし、一応会っといたほうがいいか、みたいな。

だけど、実家の玄関先で顔を合わせたとたん、父はこう言った。

「海に行こう。」と。

 

到着した海岸は広く、夕方でも人がまばらにいた。犬を散歩させる人、カップル、サーファー。

海を見つめる父の背中からは、なにも読み取れなかった。あんなに嫌っていた砂浜が、小さい坂道を降りればすぐそこだ。

 

マジでなんのつもりなんだろう。私を励ましたいんだろうか。

春先の海風は、まだ少し冷たい。気持ちはありがたいが、来たばかりだというのに私はもう帰りたかった。

「お父さん、ありがとう。無理しなくていいよ、帰ろう。」

そう言おうとした瞬間、父が走り出した。初老とは思えないスピードで。

 

腕をしっかり振りながら、坂道を転げ落ちるように下り、砂浜に着地。こちらを振り返ることもなく、海岸線を駆け抜けていく!

なにが起きているかわからず、一瞬体が固まったが、私もすぐに走り出した。追わないとヤバそうだ。そう直感した。

「ちょっと、お父さん!待って!!」

絶対聞こえているのに無視して、父は走り続ける。が、数十メートルも走らないうちに、明らかにペースダウンしていき、ついには仰向けにバッタリと倒れこんだ。

「おっ、お父さん、大丈夫!?」

ぜえっ、ぜえっ、と疲労感も露わな呼吸をしながら、ヨロヨロとオッケーサインを見せる父。
おじさんの全力の奇行に興味を示したのか、散歩中のコーギー犬が近づいてきて、顔を嗅がれている。

飼い主は「こんにちは~」と朗らかに挨拶し、父も「はぁっ、はっ、こん、こんにち、は~~!」と返事をする。

なにからなにまで、意味不明だ。

 

満足したコーギーと飼い主が去っていくのを見送って、私は父に向き直った。

「意味不明だよ、お父さん。」

「フゥーっ、フゥー…。だよなぁ。」

以前、大の字に寝転がったまま、ハハハ、と父は笑った。

「美伊子、これは初めて人にいうんだけどさぁ。お父さんな、一個だけ超能力あるんだ。」

「はぁ?」

「小さいころ神様に会って、人生で一回だけ使える超能力をもらったんだ。で、いま使ってるんだよ。」

なんだろう、ボケてしまったんだろうか。それとも冗談を言ってるのだろうか。
ヘラヘラ笑う父の表情からは真意を読み取れず、とりあえず私はしゃがみ込む。

「…どんな能力なの、それって。」

「過去に、好きなモノを送れるんだよ。なんでも送れる。一回だけな。それで、いま、砂を送っているんだ。ほら、見てみろ。」

そう言いながら、父は砂を握って自分の手のひらに乗せた。途端に、パッと消える。もう一度乗せる。また消える。

「な、本当だろ? それに、ホラ! 立て、美伊子、立て。」

あっけにとられながら立ち上がる私に、父は嬉しそうな顔で向かい合う。

「見てみ。こんなに暴れたのに、服も肌も、髪も、ぴかぴかだろ! 砂で汚れると掃除が本っ当に面倒だけど、もう過去に送ったからな。心配ナシって訳だ。」

背中も、靴も見てくれ、ほらほら。
言われるがまま観察するが、確かに。自分のスニーカーは内も外も砂まみれだが、父の革靴には砂粒ひとつついていない。

すべて、あの瞬間。私が6歳のときに見た、ドライブ中の父の右手に転送されている、ということなのか。

ていうか、ていうか。

 

「ていうか、なんでそんなことに使うの? な、なんだかわかんないけど、もっとすごい事とか、ピンチのときに使えばいいのに!」

 

狼狽する私をよそに、父は「いいの、いいの。」と笑うばかりであった。

つられて、もうどうでもよくなって、私も吹き出してしまう。

「ククッ、フフッッ…。マジで、なんなのそのパワー。そんなのアリ?」

 

ありだよ、美伊子。なんでもあるんだよ。

この世はなんでも起きるよ。

 

見せつけるようにジャンプを繰り返す父の向こう、水平線に太陽が落ちていく。

夕焼けに照らされて、空中に舞った砂がキラキラと輝いていた。

 

<了>

11億人いる!

「高橋和久さん。あなたは■■性■■■障害 ― 平たく言うと、多重人格者です。」

医師にそう告げられ、私はたいそう驚いた。36年生きてきて、自分の中に別の人格があると思ったことは一度もない。

そもそも今日メンタルクリニックを受診したのも、飼っていたハムスター(ベヒモスちゃん・ジャンガリアン♀)が2か月前に逝去したショックから回復できず、泣き泣きの日々を送っていたらあんまり眠れなくなってしまったからである。仮に私に別人格があったとして、なんの関係があるというのか。

そういった疑問をストレートにぶつけたところ、「まあ、関係してるかはわかんないですけどね。」と医師は悪びれもせず答えた。

「とはいえ、診断出た病気はお伝えしときたいんですよね。自分、全部言っちゃうねタイプなんで。」

「はあ…。でも、ぜんぜん自覚ないんですけど。」

「間違いないと思いますよ。高橋さん、受付でもらったブレスレット、まだ着けてますね?」

ああ、はい、と生返事しながら、右手首の白いブレスレットに目を落とす。見た目はまるでスマートウォッチだが、なんのディスプレイもボタンもない。ただ白いだけ。
最近はこのデバイスを着けてカウンセリングを受けると、体の微細な反応をキャッチし、より詳細で確実、そしてスピーディな診断が可能になるそうだ。

「膨大なデータをAIが参照してくれるんで、もう誤診の確率ってほぼゼロなんですよ。」

「あの、多重人格って、別の人格に突然切り替わるんですよね? で、その間の記憶がない、みたいな…。」

「まあ、おおむねそんな感じです。」

いやいや。それなら、やはり誤診ではないだろうか。
私は首をかしげた。自分が自分でなくなった覚えがないのだ。

私の不審をよそに、医師はタブレットをスイスイと操作しながら話をつづけた。

「いやあ、昨今の技術はスゴいですよ。大脳皮質の■■■や■■■■から情報をシミュレーションしてね。どういった人格がいくつ内在してるのか、リストアップでき…」

そう言ったところで、医師はピタリと動かなくなった。大きく見開いた目はタブレットの画面に固定され、まばたきもしない。

どうした。急に黙られたら、一気に不安になってくるじゃないか。

「高橋さん、あの…。うーん、でもこれは…。いや、なんというか、落ち着いて聞いてくださいね。」

この語り口。さっきまでの余裕綽々、といった態度から一変、いまやしどろもどろである。私も思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。

これは、希代のとんでもない人格が見つかったに違いない。かつてビリーなんとかという有名な犯罪者には、24もの様々な人格があったと聞いたことがある。

私にも、まさか?

「あの、もしかして先生。犯罪をするような…、危険な人格があったんですか? まさか私は、覚えていないだけで恐ろしいことを…!?」

医師がはじかれた様に顔をあげ、「いえいえいえいえ!そういうことではないんですが!」と大声で否定した。逆に怪しい。

「では、なんだっていうんです?」

「…こんなケースは見たことがないんですが、んんん。結論から申し上げますと、高橋さんの中に内在する人格は、すべて普通の人格です。」

「普通? 普通、ってなんですか。」

「えーと。高橋さんとほとんど同一の人格なんです。いっぱいいるだけで。」

「はあ?」

「つまりですね、【自分のことを高橋和久だと思い込んでいる人格】が、複数いることになります。【自分のことを高橋和久だと思い込んでいる人格】なので、記憶も引き継いで高橋さん本人のように振舞います。なので、周りから見たら違和感が一切ありません。」

なんだそれは。そんなの聞かされたところで、私はどうしたらよいのだ。

「…それでですね、ここからが本題なんです。」と医師は気まずそうに続ける。「人数が、ちょっと。」

「いや、人数なんてどうでもいいですよ。別に困ってないわけだし。自分自身が10人いようが、20人いようが。」

 

「…11億4812万2628人です。」

 

えっ?

 

「…いち、じゅう、ひゃく…。いや、合ってるな。11億4812万2628人が、あなたの中にいます。」

 

じゅ、じゅういちおく?

 

「…しかも、今も増え続けてます。」

「ど、ど、ど、どういうことですか!!??!?」

 

要するに、と医師が語ったところによると、私は生まれてから”毎秒”新しい人格に乗っ取られ続けており、そのまま36年間生きてきたのだという。

こういった風に思考している”私”は、一秒前とは別の人格なのである。毎秒生まれる新しい人格は、今のところ【高橋和久の記憶を持ち、高橋和久らしく振る舞う】という癖を持っているため、自分も周囲も人格が更新されていると気づくことはない。

医師からは薬を出され、通院もすることにした。クリニックから駅に向かいながら、地に足がつかないようなフワフワとした感覚に酔う。

向こうから、黒い制服の男子中学生が5人ほど歩いてくる。体育祭にe-sportsを導入すべきと話しながら、それはそれは楽しそうに歩いてくる。

もうすぐすれ違う、というとき、ふと頭をよぎる。
一人残らず徹底的にブン殴ったら、どうなるのだろう。私の衝動の、私の行動の責任は、誰にある?

それを想い、それを行動に移す私の人格は、今この瞬間は未来にあり、一秒後には過去になる。私は、毎秒死んでいるのだ。死人のしたことの責任をとるのは、未来の別の人格なのだ。

 

結局、何もせずにすれ違う。さっきの暴力的なアイデアは、ただの例えにすぎない。

しかし、私を永遠に変えるアイデアには違いなかった。

 

帰宅した私は、まずハムスターのケージを処分した。ソレは、11億4760万2374人目までの高橋が好きだったものだ。11億4812万9895人目の私は、違う人格。

いまや、なんのストレスも感じない。

なにかを感じたのは一秒前の私。なにかを考えたのは、一秒前の私。いまは新しい私。いいや、もう過去の私。

 

 

(了)