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ヨウスコウカワイルカと睡眠

眠れない夜は、いろいろな事が頭をよぎるものだ。

そんな日は『認知シャッフル睡眠法』というのを試している。
関係ない言葉をたくさん並べて、”思考する”暇を与えず、脳を寝かしてしまおう、というやつだ。

単語と単語は、関係なければないほど良い。

たとえば「ヘリコプター」から始めたとして、次は「海ブドウ」。

「海ブドウ」、「等高線」、「コピーライター」、「遮魂膜」、「ヨウスコウカワイルカ」…。

ヨウスコウカワイルカ?

ヨウスコウカワイルカはその名の通り、中国の揚子江に生息していたイルカだ。
かなり奇抜な見た目をしている。
ながーいクチバシ、他のイルカよりは上のほうについているつぶらな瞳。
僕が好きなのは、何しろあの体型だ。ずんぐりしていて可愛い。

有名なSF作家であるダグラス・アダムスと、動物学者のマーク・カーワディンが共著した『これで見納め』(みすず書房)でも取り上げられていた。
ヨウスコウカワイルカを探しに、彼らが中国を訪れた時のエッセイが収録されている。
マイクの防音に使うため、コンドームを手に入れようと奔走するエピソードが面白かった。
文化と言葉の違いが立ちはだかり、様々な誤解を受けつつ、売店をたらい回しにされるのだ。

エッセイ内で詳しく説明されているが、他の大半のイルカと同様、ヨウスコウカワイルカも音を中心とした世界で生きている。
音波を出して、物の位置を感じ取り、コミュニケーションを取る生き物なのだ。
大量の船が行き来する揚子江において、イルカはパニックにおちいってしまう。
コンドームを装着したマイクで河の中の音を録音するのだが、そりゃもう大変なノイズが記録されていたそうだ。
イルカにとって、それはあらゆる感覚を封じられることに等しいのだろう。

結局、アダムスたちが野生のイルカに出会うことはなかった。
執筆された1990年あたりでも、ほぼ絶滅していたからだ。

2006年、ヨウスコウカワイルカは正式に絶滅を宣言されたそうだ。
そもそも個体数が少なかったうえ、自然に生きられる環境とはいえなかったのだろう。

お気づきだろうが、僕は寝れていない。

もうスマホで絶滅したイルカの顛末について調べ始めている。
ヨウスコウカワイルカを目撃した、という近年の報告もあるが、ほとんどがスナメリ(ツルンとした小型の海獣)の見間違いらしい。
へえー。

スナメリといえば。
彼らは小型なのでイルカと思われがちだが、分類的にはクジラと聞いたことがある。
また、背びれがなく、代わりにポツポツとたくさんの突起があり…。

 

(YOU FAILD… 入眠失敗エンド)

 

ピンチ続行の夏休み

夏休みが始まった。正確には、息子の夏休みが始まった。

大人に夏休みはない。
リリースその他で普通に忙しい。新シングル『嘘つきなBaby』よろしくお願いします。

学期の最終日、息子はニコニコで帰ってきた。
「実は宿題のドリル、ちょっと学校でやってきたから、少なくなったのよね~~ん♪」と言いながら。

みんなで一緒に夏休みの宿題リストを確認してみると、算数ドリルや漢字の書き取り、リコーダーの練習などなど、おなじみのメンツが並んでいる。

そして、やっぱり読書感想文だ。毎年なかなか苦戦している印象がある。

「今回はなにを図書館で借りたの?」と聞くと、「これでござい!」とランドセルからハードカバーを取り出した。

『日本国憲法』だった。
『日本国憲法』とは、日本国憲法が書いてある本である。
日本国憲法が書いてある本???

「か、か、書けんの?これで。」

「いや、中身は見てない。なんか短そうと思って。」

おい、小学生すぎるだろ。
短いもなにも、本当に憲法が書いてあるだけなんだから。

本の中身をぱらぱらとめくった息子の表情は、どんどん硬くなっていった。
「やばいやばい」「ほ、法律だ」などと言いながら焦っている。

突然ピンチに陥った我々は、宿題のルールが書いてあるプリントをもう一度確認した。
どうやら2冊借りて、どちらかの感想文を書けばいいらしい。

ピンチ回避!

「もう一冊を見せて!」と言うと、明らかに息子がうろたえた。
口をすぼませ、「チョォ~~~・・・・」と小さい声を出している。ちょっと白目になっている。
どう考えても様子がおかしい。

とにかくもう一冊を見せてくれ、と促すと、もはやこれまで、とでも言いたげに背中を丸め、こちらを向かずにランドセルからハードカバーを取り出した。

『日本国憲法』だった。
日本国憲法、二冊目。

ピンチ続行!!!!

 

父とレイ

親父がテレビに出ていた。
親父、というか、僕以外の実家ファミリー全員がテレビに出ていた。

父の一(はじめ)はキャンプや防災に詳しく、そういうことを仕事にしている。

月一ペースでテレビかラジオに出演しており、今回も実家に取材が入ったらしい。

庭で父と母、そして妹と妹のパートナーが焚火でチャーハンを作っているシーンが流れていた。
そこに僕はいない。
一家でただ一人、アウトドアに深い興味を持たずに生きているからだ。

「庭にテントを建ててバーベキューをするが、来るか?」と聞かれたらたぶん行かないが、「手塚治虫の『シュマリ』を全巻買ったけど、読むか?」と聞かれたら行く男だ、僕は。

家族にもそんな風に認知されているので、アウトドア系の用事で僕が呼ばれることは少ないのである。

僕がこうなった理由は両親の影響に依るところが大きい。
親から受け継いだ文化や美術が、僕の核になっている。
ただ、カルチャーに夢中になりすぎて、キャンプをやるリソースが枯渇したのだ。

実家は近いのでたまに遊びに行く。先週もワインを渡しに行った。

ふと親父に「最近ガンダムを見始めたんだけど、当時見てた?」と聞いたら、しばらく考えたあと「うーん、ガンダムもエヴァンゲリオンも全く見てないんだよな・・・。」「えーーーー、綾波・・・?」とだけ言っていた。

ロボットアニメのジャンルにおいて、綾波レイただ一人が、ギリギリ親父の脳にしがみついている状態だ。
ふんばれよ、綾波。君が親父とサブカルを結び付けている。

 

人間学校

車のことがよくわからないまま、車を運転している。

最近もフロントガラスにち~~っちゃい傷がついたので、リペアキットで直してみた。
あんまりうまくいかず、結局修理に持っていったところ、「素人がやるな」「一回こんな風にされたら修理できない」と追い返されてしまった。
言われてみりゃその通りである。

自動車学校を卒業したあと、ガソリンの入れ方が分からなくて膝から崩れ落ちたこともある。鎌倉のENEOSで。

「走れば走るほど、内部がピカピカになりますよ!」と店員さんに教えてもらい、エンジンに車用のシャンプーを入れたこともある。
その日のうちにエンジンが寿命を迎え、やたらとキレイだが壊れているエンジンが誕生した。

こういうのは、どこでみんな学んでいるのだろうか?

車のことや住民税、デートのときに車道側を歩くのはわざとらしいのかどうか、などなど。
いったいいつ、どこで学ぶんだ?

高校を卒業したタイミングで、1年制の『人間学校』みたいな感じのものがあったらいいのにな。

その学校では、社会生活に必要な基礎知識に加え、飲食店の予約の練習や、美容師との会話の練習などができる。

区別がどうこう言うのは結局差別であることを学べる倫理の授業も当然あるし、ささくれができない爪の切り方も教えてくれる、素敵な学校なのだ。