死ぬのが嫌だ。
そりゃ基本的に皆そうだろうが、僕はレベルが違う。
永遠に死にたくない。
死ぬと無になる、という説が今のところ有力だからだ。
無になる嫌さと、未来永劫永遠にこの世を彷徨う嫌さを天秤にかけたとき、「・・・生”き”た”い”!!!」と心のロビンが叫ぶのである。
肉体は順調に滅びに向かっているので、早急なサイボーグ化や電脳化技術の普及が待たれるところだ。
培養液入りのシリンダーに脳がプカプカ浮いているアレ、あの状態も理想的である。
このように科学技術を使った”準・永遠の命”はフィクション中において否定されがちで、「命を・・・なんだと思ってやがるんだ!」という主人公の声が聞こえてきそうだ。
それに対しては「うるせーバカ」および「ホントそうですよね」といった、相反する二つの気持ちがある。
向こうの言ってることは正論だが、僕が無害な脳みそくんなのであれば、マジでほっといてほしい。
一方、『火の鳥』などに代表される、マジカルパワーによる不死の実現パターンもある。
マジカル由来の不死は、冗談抜きのガチンコ不死であることが多く、文字通り宇宙が滅んでも生き続けることができる。
全然かまわない。火の鳥の血、ショットでいかせてください。
「はたして12恒河沙年経ってもそんなことが言えるかな・・・?」という不老不死アンチの意見もごもっともだが、もうそんなの生きてから考えたらいい。
まず死にたくない、って言ってんの。こっちは。無とか勘弁だっつーの。
そもそも、人生は短すぎる。
読みたいもの、聴きたいもの、観たいもの、体験したいことの量と、せいぜい90年の人生の長さは釣り合っていない。
さらに自分の表現、アウトプットまでしていたら、何をかいわんやである。
最悪、永遠の命は無理でもいい。
いったん400年くらい生きさせてはもらえないだろうか。
いったん、いったんね。
そこから先は、400年後に考えさせてほしい。


