2025年 2月 の投稿一覧

あいさつ中学校

僕の通っていた中学校は妙にビーバップな世界観を引きずっており、転校初日に先輩に殴られた。

「挨拶がない」という理由だった。

理不尽すぎて驚いた。アライグマくんじゃないんだから。

ビンタを喰らいつつ、「挨拶がないと、なぜ殴ることにつながるのか」と聞いてみたところ、先方にも以下のようなロジックがあることが判明した。

 

①挨拶がない。

②ということは上級生をナメている。

③ナメられると他の下級生に示しがつかない。

④示しがつかないので、お前を殴るのはしょうがない。

 

とのことであった。いま、”しょうがない”で殴られてるのかよ。

そもそも、こういうビーバップなロジックは、ビーバップな人たちに適用されるべきなのではないか。

当時の僕はビーバップどころか、ギターがちょっと弾けるサツマイモみたいなもんである。

サツマイモの「おはようございます!」がそんなに欲しいか?

サツマイモに挨拶されているところを見て、「なるほど、アイツはナメられてないなあ」と他のビーバップは思うのか?

 

そういった反論を一応してみたところ、「思うんだよ!」と言われ、もう一発ビンタを食らった。

思うのかよ。

 

翌朝、エントランスでその先輩が張り込みをしていた。そこまでやるのか。

もう殴られたくないので、「おはようございます~」と挨拶したところ、「おう」とだけ返された。僕には目もくれず、校門方面を睨みつけていた。

なんだ? 狙いは僕じゃないのか?

いぶかしんでいると、同じクラスの学級委員が僕に教えてくれた。

「寒川くん、いま近づかない方がいいよ。同級生のKが、アイツ怒らせちゃって。Kはいま、裏山を逃げ回ってるんだ。」

 

先輩の興味は完全にKに移ったらしい。

僕は翌日から先輩に挨拶するのをやめてみたが、お咎めは無かった。なんなんだ。

 

いま現在、その中学校に通う子に話を聞いたところ、ビーバップな雰囲気は皆無らしい。

その代わり、登校時に通りすがる車に「おはようございまーす!」と挨拶する習慣があるそうだ。

極端な地域だなあ。
 

 

ミッキー7

“テセウスの船”という思考実験がある。

偉大な英雄・テセウスが遠征に使った船は、後世のために大事に保管されていた。

しかし、経年劣化は避けられない。

ある日、傷んだ木材を修理のために交換した。あくる日は、破れた帆を交換した。

そのように修理と交換を繰り返し、100年経ったころには交換していない部品はひとつもなくなった。

見た目は100年前とまったく同じ船だ。しかし、本当に同じ船と言えるのだろうか?

 

『ミッキー7』(ハヤカワ文庫SF)の主人公、ミッキー・バーンズは”テセウスの船”を地で行く人間だ。

物語開始時点でミッキーはもう7回死んでいる。

死ぬたびに新しい肉体が作られ、”前の”ミッキーの記憶をインストールされて蘇り、また死地へと赴く。それが彼の仕事なのだ。

 

死んだミッキーと、新たに蘇ったミッキー。

さて、彼らは同一人物だろうか?

 

『月に囚われた男』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のようなハードな世界観と発想のSFだが、面白いことに主人公のミッキーはアホだ。

軽薄、厭世家、そして浅慮。

タフな性格だから死が平気なのではなく、あんまり真面目に考えてないのだ。

特別なスキルもなく、行き当たりばったりの生き方で、生死どころか自身の同一性まで他人に明け渡している。

何度も何度も死ぬ。仮初の不死身人生から抜け出せない、徹底的な”持たざる者”。

そんな彼を待ち受けるのは、絶対起きちゃいけない大ピンチだ。

果たして人生終わっちゃうようなピンチを、人生を変えるチャンスにできるのか。

がんばれ、ミッキー!

『ミッキー7』 はそんな小説だ。読んでいて楽しかった。

 

ところで、本作をポン・ジュノ監督が映画化するそうだ。最高。

タイトルは『ミッキー17』となっていた。

さらに10回死ぬらしい。がんばれ、ミッキー。