『エイリアン:ロムルス』はとても面白かった。
一緒に観た息子が「怖い~」「家に帰ってきても怖い~~」などと言いつつも、「でもフェイスハガーのぬいぐるみが欲しいんだよな」とつぶやく姿を見ていると、マジでいい映画だったなとしみじみ思う。
閉塞感のある日常を変えたい、という願望を持つ若者たちが、変革を目論んだだけなのに酷い目に合う内容だった。気の毒すぎる。
巨大企業が支配するディストピアでの労働からの脱出、だったはずが、化け物が蠢く閉鎖空間からの脱出に取って代わる。
「化け物に襲われて死にたくないけど、あんな生活には戻りたくね~~~!!」という生・人生への渇望が、シリーズ1作目『エイリアン』と同様のシンプルなプロット(狭いところでヤバい奴から逃げる)にフレッシュな説得力を与えていたように感じる。各シーンのキャラの目的も明確で、終始楽しく映画に没入できた。
1作目を踏襲した本作のキモは、もちろんパニックホラー要素だ。
登場人物を襲うピンチに次ぐピンチ。命がけのSASUKEみたいなタスクの連続。
そういった恐怖演出の数々の中核には、エイリアン(ゼノモーフ)を始めとしたクリーチャーの存在が不可欠だ。
その点、今作に登場するクリーチャーの気色悪さはマジで見ごたえがある。
カサカサと部屋の影を這いまわるフェイスハガー!
心臓を突き破って産声をあげるチェストバスターのヌメヌメ感!
アニマトロニクスと特殊メイクで作り上げられたリアリティ、本当にありがとう。お金をもっと払わせてください。
とはいえ、僕はゼノモーフは怖くない。カルチャーアイコンとして長年知りすぎている。
画面に出てきたら「よっ!大スター登場!」と思う。
でも、10歳の息子にとってはそうではない。ゼノモーフを本作で初めて目撃するのだ。
不気味で、気持ち悪く、正体不明。本能で「近づいてはならない」とわかるデザイン。
体を縮め、手汗をかき、時折「ヒョェ~…」と吐息を漏らしながら、映画の登場人物と同じストレスを味わっている様子は、心の底から羨ましかった。
いつか強く頭を打って記憶を失ったら、僕も『エイリアン:ロムルス』からシリーズを観てみたい。
記憶喪失の僕を見かけたら、この記事のこと教えてください。