11億人いる!

「高橋和久さん。あなたは■■性■■■障害 ― 平たく言うと、多重人格者です。」

医師にそう告げられ、私はたいそう驚いた。36年生きてきて、自分の中に別の人格があると思ったことは一度もない。

そもそも今日メンタルクリニックを受診したのも、飼っていたハムスター(ベヒモスちゃん・ジャンガリアン♀)が2か月前に逝去したショックから回復できず、泣き泣きの日々を送っていたらあんまり眠れなくなってしまったからである。仮に私に別人格があったとして、なんの関係があるというのか。

そういった疑問をストレートにぶつけたところ、「まあ、関係してるかはわかんないですけどね。」と医師は悪びれもせず答えた。

「とはいえ、診断出た病気はお伝えしときたいんですよね。自分、全部言っちゃうねタイプなんで。」

「はあ…。でも、ぜんぜん自覚ないんですけど。」

「間違いないと思いますよ。高橋さん、受付でもらったブレスレット、まだ着けてますね?」

ああ、はい、と生返事しながら、右手首の白いブレスレットに目を落とす。見た目はまるでスマートウォッチだが、なんのディスプレイもボタンもない。ただ白いだけ。
最近はこのデバイスを着けてカウンセリングを受けると、体の微細な反応をキャッチし、より詳細で確実、そしてスピーディな診断が可能になるそうだ。

「膨大なデータをAIが参照してくれるんで、もう誤診の確率ってほぼゼロなんですよ。」

「あの、多重人格って、別の人格に突然切り替わるんですよね? で、その間の記憶がない、みたいな…。」

「まあ、おおむねそんな感じです。」

いやいや。それなら、やはり誤診ではないだろうか。
私は首をかしげた。自分が自分でなくなった覚えがないのだ。

私の不審をよそに、医師はタブレットをスイスイと操作しながら話をつづけた。

「いやあ、昨今の技術はスゴいですよ。大脳皮質の■■■や■■■■から情報をシミュレーションしてね。どういった人格がいくつ内在してるのか、リストアップでき…」

そう言ったところで、医師はピタリと動かなくなった。大きく見開いた目はタブレットの画面に固定され、まばたきもしない。

どうした。急に黙られたら、一気に不安になってくるじゃないか。

「高橋さん、あの…。うーん、でもこれは…。いや、なんというか、落ち着いて聞いてくださいね。」

この語り口。さっきまでの余裕綽々、といった態度から一変、いまやしどろもどろである。私も思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。

これは、希代のとんでもない人格が見つかったに違いない。かつてビリーなんとかという有名な犯罪者には、24もの様々な人格があったと聞いたことがある。

私にも、まさか?

「あの、もしかして先生。犯罪をするような…、危険な人格があったんですか? まさか私は、覚えていないだけで恐ろしいことを…!?」

医師がはじかれた様に顔をあげ、「いえいえいえいえ!そういうことではないんですが!」と大声で否定した。逆に怪しい。

「では、なんだっていうんです?」

「…こんなケースは見たことがないんですが、んんん。結論から申し上げますと、高橋さんの中に内在する人格は、すべて普通の人格です。」

「普通? 普通、ってなんですか。」

「えーと。高橋さんとほとんど同一の人格なんです。いっぱいいるだけで。」

「はあ?」

「つまりですね、【自分のことを高橋和久だと思い込んでいる人格】が、複数いることになります。【自分のことを高橋和久だと思い込んでいる人格】なので、記憶も引き継いで高橋さん本人のように振舞います。なので、周りから見たら違和感が一切ありません。」

なんだそれは。そんなの聞かされたところで、私はどうしたらよいのだ。

「…それでですね、ここからが本題なんです。」と医師は気まずそうに続ける。「人数が、ちょっと。」

「いや、人数なんてどうでもいいですよ。別に困ってないわけだし。自分自身が10人いようが、20人いようが。」

 

「…11億4812万2628人です。」

 

えっ?

 

「…いち、じゅう、ひゃく…。いや、合ってるな。11億4812万2628人が、あなたの中にいます。」

 

じゅ、じゅういちおく?

 

「…しかも、今も増え続けてます。」

「ど、ど、ど、どういうことですか!!??!?」

 

要するに、と医師が語ったところによると、私は生まれてから”毎秒”新しい人格に乗っ取られ続けており、そのまま36年間生きてきたのだという。

こういった風に思考している”私”は、一秒前とは別の人格なのである。毎秒生まれる新しい人格は、今のところ【高橋和久の記憶を持ち、高橋和久らしく振る舞う】という癖を持っているため、自分も周囲も人格が更新されていると気づくことはない。

医師からは薬を出され、通院もすることにした。クリニックから駅に向かいながら、地に足がつかないようなフワフワとした感覚に酔う。

向こうから、黒い制服の男子中学生が5人ほど歩いてくる。体育祭にe-sportsを導入すべきと話しながら、それはそれは楽しそうに歩いてくる。

もうすぐすれ違う、というとき、ふと頭をよぎる。
一人残らず徹底的にブン殴ったら、どうなるのだろう。私の衝動の、私の行動の責任は、誰にある?

それを想い、それを行動に移す私の人格は、今この瞬間は未来にあり、一秒後には過去になる。私は、毎秒死んでいるのだ。死人のしたことの責任をとるのは、未来の別の人格なのだ。

 

結局、何もせずにすれ違う。さっきの暴力的なアイデアは、ただの例えにすぎない。

しかし、私を永遠に変えるアイデアには違いなかった。

 

帰宅した私は、まずハムスターのケージを処分した。ソレは、11億4760万2374人目までの高橋が好きだったものだ。11億4812万9895人目の私は、違う人格。

いまや、なんのストレスも感じない。

なにかを感じたのは一秒前の私。なにかを考えたのは、一秒前の私。いまは新しい私。いいや、もう過去の私。

 

 

(了)

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