2024年 6月 の投稿一覧

カリコ

『カリコ』という言葉を思い出した。

確か、子どもをさらう妖怪だ。小柄だが、大きな恐ろしい仮面を被っている。夕方になると現れ、なんだか分からないが子どもを誘拐したりするのだ。

いや、違うっけ。食べちゃうんだっけ。いや、槍で刺してくるんだっけ。

具体的なディテールがまったく蘇ってこないので、ネットで検索してみる。

『カリコ 妖怪』・・・ヒットしない。

『カリコ 都市伝説』・・・ヒットしない。

『カリコ 夕方』・・・ヒットしない。そういう名前のリゾート施設しか出てこない。

あの手この手で試してみたが、一切見つからない。

がぜん気になってきた。マイナーな都市伝説だとしても、この大インターネット時代に痕跡すらないとはね。

 


 

もともとは父が子供のころに流行った噂話、のはずである。先日、あらためて直接聞いてみた。

「カリコってなんだっけ。あの、仮面つけてて、なんか人を槍で刺しに現れる…。」

「ああ、カリコってあったなあ。でも、仮面とか槍は後付けというか、俺が作った話だから違うな。」

すいません、おじさんの作り話でした。解散、解散!!

「いや、元になった話はあるよ。20年前くらいにフィギュアの造形師と組んで作品を作ったときに、『カリコ』の話をベースに肉付けした設定が仮面とかの部分だな。もともとの噂話は俺が小学生の頃だから、50年以上前の…」

と、父が語った話をまとめたのが以下のものである。

カリコ

 

1970年代、香川県H小学校内で局所的に流行った噂話だそうだ。

夕暮れ時の田舎町に、『カリコ』と呼ばれる何かが現れる。

下校中や塾帰りに目撃されることが多く、それは大きく伸びる”影”のように見えるそうだ。

その”影”を落とす実体を見た者はいない。

なぜ現れるのか、なぜ『カリコ』と呼ばれるのか? それも分かっていない。

『カリコ』の影につかまると、その子供は死んでしまうという。

 

おお…。ひどく曖昧な話ではあるが、曖昧ゆえの迫力がある。

有名な都市伝説、たとえば 口裂け女やトイレの花子さん などには、怪異の由来やルールがハッキリしているものも多い。なんなら対処法すら広まっている場合がある。

しかし、カリコに細かい設定はない。ルールもなにも、とにかく夕方にそれっぽい影を見たら死ぬのだ。

この理不尽さは自然災害に似ているが、カリコは災害が敵意を持って子どもをターゲットにしているようなものだ。かなり怖い、というか、迷惑な存在である。

 


 

カリコの話で優れていると思うポイントは、流行のツボの押さえ方だ。
噂話や都市伝説に重要なのは、いわゆる体験談(ウソも含めて)だが、『カリコ』は簡単な2ステップで作れる。

①夕方に ②なんらかの影を見る。

これだけ。そりゃ流行りますよ。

 

「公園から家に帰る途中、角のブロック塀から大きい影が伸びているのを見た。カリコに間違いない。」

「学童の電柱の裏、誰かが立っていた。あの影は絶対人間じゃなかった。カリコだと思ってすぐ逃げた。」

 

マジでこれだけでいい。教室大騒ぎ確定。「旧校舎の〇階の元音楽室で何をどうこう~」とか「〇丁目の電話ボックスで〇回呪文を唱えて~」とか必要ないのだ。

このシンプルさゆえに局所的に流行ったのは間違いないと思うが、悲しいかな、シンプルさゆえに飽きられ、あっという間に消えた都市伝説なのだろう。

 


 

ところで、なぜ”影”を子どもたちは恐れたのか?

それまでも影はその辺にあったはずなのに、ある時期を境に、”影” に『カリコ』という名前をつけて怖がり出したのだ。

父が言うには、あるCMが影響しているのではないか、という。

1972年に放映されていた『森永 チョコベー』のCMである。実際の映像がYoutubeにアップされていたので、ぜひ見ていただきたい。

 

 

校庭で遊ぶ平穏な風景から一転、少年の”影”がショッキングな音とともに山に伸びていく。

山より大きくなったその影を、ナレーターが低い声でこう呼ぶのだ。「チョ~コベ~~」と…。

お菓子のCMなのに、味や見た目のアピールを一切していない。ただただ、インパクトを優先したと思しきこのCM、目論見通り大流行したそうだ。

父の通っていたH小学校も例外ではなく、「チョ~~コベ~~」「キミは、チョコベーを見たか!?」とそこかしこで聞こえた。

特に奇妙で子供たちの興味を引いた部分が、”影”が伸びていく謎のシーンである。
“影”が伸びるときの不気味なSE、不条理な演出!それは子供たちの脳裏に「なんか影ってコエーよな」という深層心理を植え付けた。

その結果生まれたのが、“影”そのものを怖がる『カリコ』という噂話だったのではないか…、というのが父の考えである。

 


 

いやあ、よかったよかった。知りたかったことが大体知れたとき、心が晴れ晴れとするなあ!

このようにひっそり消えていく都市伝説は、きっと僕が思うよりもはるかに数多く存在するんだろうな。

それは惜しいので、少なくともこの話はインターネットに放流しておこう。世は大インターネット時代だからね。いずれ誰かの役に立つかもしれない。

より詳細なことを知っている・覚えている方はぜひご連絡くださいね。

11億人いる!

「高橋和久さん。あなたは■■性■■■障害 ― 平たく言うと、多重人格者です。」

医師にそう告げられ、私はたいそう驚いた。36年生きてきて、自分の中に別の人格があると思ったことは一度もない。

そもそも今日メンタルクリニックを受診したのも、飼っていたハムスター(ベヒモスちゃん・ジャンガリアン♀)が2か月前に逝去したショックから回復できず、泣き泣きの日々を送っていたらあんまり眠れなくなってしまったからである。仮に私に別人格があったとして、なんの関係があるというのか。

そういった疑問をストレートにぶつけたところ、「まあ、関係してるかはわかんないですけどね。」と医師は悪びれもせず答えた。

「とはいえ、診断出た病気はお伝えしときたいんですよね。自分、全部言っちゃうねタイプなんで。」

「はあ…。でも、ぜんぜん自覚ないんですけど。」

「間違いないと思いますよ。高橋さん、受付でもらったブレスレット、まだ着けてますね?」

ああ、はい、と生返事しながら、右手首の白いブレスレットに目を落とす。見た目はまるでスマートウォッチだが、なんのディスプレイもボタンもない。ただ白いだけ。
最近はこのデバイスを着けてカウンセリングを受けると、体の微細な反応をキャッチし、より詳細で確実、そしてスピーディな診断が可能になるそうだ。

「膨大なデータをAIが参照してくれるんで、もう誤診の確率ってほぼゼロなんですよ。」

「あの、多重人格って、別の人格に突然切り替わるんですよね? で、その間の記憶がない、みたいな…。」

「まあ、おおむねそんな感じです。」

いやいや。それなら、やはり誤診ではないだろうか。
私は首をかしげた。自分が自分でなくなった覚えがないのだ。

私の不審をよそに、医師はタブレットをスイスイと操作しながら話をつづけた。

「いやあ、昨今の技術はスゴいですよ。大脳皮質の■■■や■■■■から情報をシミュレーションしてね。どういった人格がいくつ内在してるのか、リストアップでき…」

そう言ったところで、医師はピタリと動かなくなった。大きく見開いた目はタブレットの画面に固定され、まばたきもしない。

どうした。急に黙られたら、一気に不安になってくるじゃないか。

「高橋さん、あの…。うーん、でもこれは…。いや、なんというか、落ち着いて聞いてくださいね。」

この語り口。さっきまでの余裕綽々、といった態度から一変、いまやしどろもどろである。私も思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。

これは、希代のとんでもない人格が見つかったに違いない。かつてビリーなんとかという有名な犯罪者には、24もの様々な人格があったと聞いたことがある。

私にも、まさか?

「あの、もしかして先生。犯罪をするような…、危険な人格があったんですか? まさか私は、覚えていないだけで恐ろしいことを…!?」

医師がはじかれた様に顔をあげ、「いえいえいえいえ!そういうことではないんですが!」と大声で否定した。逆に怪しい。

「では、なんだっていうんです?」

「…こんなケースは見たことがないんですが、んんん。結論から申し上げますと、高橋さんの中に内在する人格は、すべて普通の人格です。」

「普通? 普通、ってなんですか。」

「えーと。高橋さんとほとんど同一の人格なんです。いっぱいいるだけで。」

「はあ?」

「つまりですね、【自分のことを高橋和久だと思い込んでいる人格】が、複数いることになります。【自分のことを高橋和久だと思い込んでいる人格】なので、記憶も引き継いで高橋さん本人のように振舞います。なので、周りから見たら違和感が一切ありません。」

なんだそれは。そんなの聞かされたところで、私はどうしたらよいのだ。

「…それでですね、ここからが本題なんです。」と医師は気まずそうに続ける。「人数が、ちょっと。」

「いや、人数なんてどうでもいいですよ。別に困ってないわけだし。自分自身が10人いようが、20人いようが。」

 

「…11億4812万2628人です。」

 

えっ?

 

「…いち、じゅう、ひゃく…。いや、合ってるな。11億4812万2628人が、あなたの中にいます。」

 

じゅ、じゅういちおく?

 

「…しかも、今も増え続けてます。」

「ど、ど、ど、どういうことですか!!??!?」

 

要するに、と医師が語ったところによると、私は生まれてから”毎秒”新しい人格に乗っ取られ続けており、そのまま36年間生きてきたのだという。

こういった風に思考している”私”は、一秒前とは別の人格なのである。毎秒生まれる新しい人格は、今のところ【高橋和久の記憶を持ち、高橋和久らしく振る舞う】という癖を持っているため、自分も周囲も人格が更新されていると気づくことはない。

医師からは薬を出され、通院もすることにした。クリニックから駅に向かいながら、地に足がつかないようなフワフワとした感覚に酔う。

向こうから、黒い制服の男子中学生が5人ほど歩いてくる。体育祭にe-sportsを導入すべきと話しながら、それはそれは楽しそうに歩いてくる。

もうすぐすれ違う、というとき、ふと頭をよぎる。
一人残らず徹底的にブン殴ったら、どうなるのだろう。私の衝動の、私の行動の責任は、誰にある?

それを想い、それを行動に移す私の人格は、今この瞬間は未来にあり、一秒後には過去になる。私は、毎秒死んでいるのだ。死人のしたことの責任をとるのは、未来の別の人格なのだ。

 

結局、何もせずにすれ違う。さっきの暴力的なアイデアは、ただの例えにすぎない。

しかし、私を永遠に変えるアイデアには違いなかった。

 

帰宅した私は、まずハムスターのケージを処分した。ソレは、11億4760万2374人目までの高橋が好きだったものだ。11億4812万9895人目の私は、違う人格。

いまや、なんのストレスも感じない。

なにかを感じたのは一秒前の私。なにかを考えたのは、一秒前の私。いまは新しい私。いいや、もう過去の私。

 

 

(了)

葉山芸術祭のこと

4月、葉山芸術祭のオープニングライブにバンドで出演した。
僕の地元で毎年開催されているイベントだが、出演者側として関わるのは初めてだ。うれしい。

ライブ当日になんとなく会場内をウロウロしていると、あちこちに知った顔がある。
僕が出演すると聞いてわざわざ来てくれた人も複数いた。かなりうれしい。

(ありがたいねェ…♡)(ライブ頑張りますねェ…♡)といった心持ちで出番を待つ間、一人の男性に目が留まった。
肩をいからせ、ガニ股をできる限り開き、首をゆらゆらさせながらノッシノッシと歩いている。

あの顔。たぶん中学のときの同級生だ。

名前こそ思い出せないし、同じクラスだったかも分からないが、とにかくピンとくるものがある。
同級生だ。

同級生が、30超えた同級生が、元気いっぱいにヤンキーを頑張っている。

少なくとも彼と友達だった記憶はないため、僕はそそくさとその場を離れた。鉢合わせたところで、なにか良いことが起こるとはとても思えない。

 

やがて出番の時間がやってきた。数曲の演奏ののち、中村竜のMCタイムが始まる。

「今日はみなさんありがとうございます。ここ葉山は、ギターの寒川響の地元でね!」

おっ、その紹介はヤバい。ライブ後に、同級生に話しかけられる未来が見える。

「寒川響!?サンちゃんじゃん!俺、〇〇!分かる?××中のさァ!」

やめてくれ。どうせごく小さな共通の話題しかないのに。
社会科の先生、髪の薄さを自分でイジりすぎてて、生徒は逆にそこには触れないようになってたね、とかさ。
弱いだろ。思い出話としても。

どうしよう。ていうか、なんで来たんだろう。まさか、認知してるのか? 空中カメラを、認知してる?
同級生がやってるバンドを認知して、来た可能性がある?

 

えっ? いいヤツ…ってコト?

 

試しに客席を見渡すと、彼はいなかった。そりゃそうですね。