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WAH-WAH NOVELS

文学フリマに出ます。
キャ~~~。
ちゃんと出るの偉いでしょう。もっと褒めてくれてもいいんですよ。

今回は、友達である真暮あたり先生の隣で出展できるのが安心ポイントだ。
君たちが11/8(日)に非常に大事な予定があって、誰一人僕のブースに来られなくても、真暮と天気やハンターハンターの話をしていれば良いからな。
でも、できれば来てよね。

さて、僕はこういうイベントに出展したことがない。
ということは、サークル名というやつを考えなければいけない。
あんまり奇をてらったり、ふざけても得が無さそうなので、ちゃんと考えた。

その名も『WAH-WAH NOVELS』(ワウワウ ノベルス)。

ギターエフェクトの一種で、その名の通り、「ワウワウ」と音が開いたり閉じたりする。
あっちこっちに揺れ動き、読んだあなたに「そうきたか!」と思ってもらえるような、エンタメ小説を目指している。

主には、自作の短編集と、空中カメラのレコード『嘘つきなBaby』+ZINEのセットを販売する予定だ。
どれも僕が書いたものなので、僕が好きな展開しか起こらない小説が生まれた。良いことだ。
このブログにも載っている小説(加筆・修正済み)が数本と、書下ろしで構成されている。

短編集には、『My silly friend』『嘘つきなBaby』『少年ブルー』といったタイトルの小説も収録される。
そう、空中カメラの楽曲から着想を得た作品がいくつかあるのだ。
この場合、竜か田中にいくらかロイヤリティ的なものを払う必要があるのかもしれないが、まあ、わさビーフを数袋与えておけば、ごまかせるだろう。

そのうち、『嘘つきなBaby』と『少年ブルー』は、ZINEにして7インチレコードと一緒に販売予定。
楽曲と一緒にお楽しみください、という意図ではあるのだが、先に言っておくと、歌詞の世界観とはぜんぜん関係ない内容だ。
嘘についての偽童話と、ブルーという子供が主人公の偽ファンタジーが出来上がった。
あまり真面目に考えずに読んでほしい。

こんなに諸々ハッキリ書くと、もはや「やっぱできませんッした~~!ゴメンピ」とは言えないが、こういう風に自分を追い詰めないと『入稿』って出来ないんだな。
なんなんだ、『入稿』。
やることが多すぎるし、入稿を請け負う事業者も多すぎるだろ。
3社くらいにしてくれよ。目移りして作業にならないって。

はーーん。だいぶ後戻りができない。
ぜひ11月8日(日)の文学フリマ東京に足を運んでいただき、完成した書籍を手に取ってほしい。
『WAH WAH NOVELS』を、どうぞご贔屓に。

なにを観てようが映画の話はいつだってしたい1選

友達のTに久々に会えた。10年ぶりだ。
別の友達・Mが『ズートピア2』について議論したい、という強い情熱のもと、我々は渋谷に集った。
夕方に集まって、ほぼ映画の話だけで閉店時間になっていた。

まあ、仕方がない。誰かと映画の話をして、泣いたり笑ったりするのが好きだ。
三度の飯より、ダブルスコアでそれが好きなんだ。

Tが元気そうで安心したけど、映画の話をしすぎて、お互いの近況をスキマを縫って報告するしかなかった。
僕はTがワールドワイドな賞を受賞していたことを初めて知ったし、Tは僕の妻を別の元カノだと思っていた。
人生は面白い。でも、時間がない。いまはひとまず映画だ。
この洒落た居酒屋が閉まる前に、できるだけ映画の話を!

三人も集まると、登場する作品名もバラエティゆたかだ。

『ジェーンになにが起ったか?』や『灼熱の魂』、『カーズ』3部作、『海の上のピアニスト』。
『ザ・フラッシュ』(僕の嫌いな映画)、そして『赤毛のアン』(Mがオススメの名作アニメ)。
『テルマ&ルイーズ』、『ダージリン急行』、『イリュージョニスト』、『リトル・ミス・サンシャイン』。

全員のディズニー映画オールタイムベストが共有され、数時間の間にいくつかの硬い握手が交わされた。
彼らがなにを善く感じて、なにを悪しく感じているのかを知れて嬉しい。
作品を観たときに「ああ、このシーケンスを面白いと言っていたのか」「なるほど、これが嫌だったんだな」と思える。
作品の楽しみ方が増えるのだ。作品の中に、彼らが焼き付き、生きている。

だから、僕が個人的に聞いていて楽しいのは、作品によって本気で感情が動いた話だ。
本数もタイトルも関係ない。心を揺さぶった一本の話が聞きたい。

解散するときに、次回集まるときまでに『赤毛のアン』をすべて観る、とMと約束した。
全50話あるそうだ。なるほど、24時間必要だな。
代わりに、と言うのも変だが、Mは『HUNTER×HUNTER』を全部読むらしい。頑張れ。
ビッグ・ホエール号に乗った後は、正気とは思えないほどの情報量(1ページあたり)が君を襲うだろう。

スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ – 独りぼっちはもうええでしょう

注)劇場公開中の映画『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』のネタバレがい~~~っぱいあります。

まずは、感謝から。こんなに良いものを見せてくれて、ありがとう。
それしか言う言葉がみつからない。

『ブランド・ニュー・デイ』(以下『BND』)において、ピーターはいろんな連中と闘っていた。

ザ・ハンド、ブーメラン、ニムロッド、タランチュラ、スコーピオン。
さらにはフランク・キャッスル(パニッシャー)と一悶着あるし、終盤はハルクとぶつかる白眉のアクションシーンもある。
そして、ジーン・グレイ。最終的にはダメージ・コントロールの面々と、実にバラエティ豊かな奴らと肉弾戦を繰り返す。

が、これらすべては、映画を構成するパーツに過ぎない。ピーターはさらに大きいものと対峙していた。

孤独だ。
正確には、孤独の末に発露する、加害性そのものとの闘うストーリーだ。

なぜパニッシャーとハルクなのか

発達した腕の筋肉を、GUNS(銃)と呼ぶスラングがあるらしい。
どちらも暴力を強く連想させる、あからさまなパワーの象徴だ。

今作には、たくさんのキャラクターが登場する。他作品からもゲストキャラが登場するが、特に目立つのはパニッシャーハルクだ。

フランク・キャッスル(パニッシャー)は家族をマフィアに殺されたことにより、心を失調したおじさんだ。
重火器を両手に持って暴れまわり、反社会的勢力を殺害することを厭わない。
フランクは孤独で、暴力に憑りつかれている。

温厚なブルース・バナー博士は、ストレスを受けると別の人格が表出し、緑色の巨人”ハルク”に変身してしまう。
無軌道に暴れまわるハルクを、ブルースは抑制装置で抑え込み、決して現れないように細心の注意を払う。
愛する人は離れているか、もしくはこの世にいない。
ブルースは孤独で、抑圧された暴力の権化を内に秘めている。

パニッシャーはタフで、ハルクは無敵だ。弱音を吐かず、敵に容赦ない「男らしさ」を存分に発揮する二人。
実際、どうだろう。銃と筋肉。
それらは、あるシチュエーションに置いて頼りになるだろう。戦時中とかね。

だからこそ、まったく礼賛したくない。誰だって傷ついたら泣いていいし、勝ち負けは遊びやスポーツで十分だ。

パニッシャーとハルクの力を、『BND』では「正しいパワー」として扱わない。彼らの力は孤独が呼び込んだ悪夢だ。

変身した瞬間、「バナーもいない、あの女もいない。ハルクひとり」とハルクはつぶやく。
ハチャメチャに暴れるハルクを正気に戻すのは、「僕はあなたの友達なんだ」というピーターの言葉だ。
あのときのハルクの顔。ハルクとブルースが混じりあったような、悲しそうな瞳。彼は力を抜いて、落下していく。
一人ではない、と理解した瞬間、明らかにパワーを手放すのだ。

フランクはといえば、全編において銃をブッ放し続けている。すぐ「殺す」とか言うし。暴力おじさんとして面目躍如たる活躍ぶりだ。
しかし、終盤において、フランクは誤射をする。ピーターにほとんど致命傷を負わせてしまい、多大な後悔とともに、彼を抱えて病院に駆け込む。
フランクはもちろんスパイダーマンの正体を知らない。だが、「ガキ(Kid)」と呼ぶくらいには彼が若者だと理解している。フランクの子供が生きていたら、きっとピーターくらいの歳だったであろうことは、フランクが想起していないわけがない。
ピーターが昏睡から目を覚ました時、彼らはジョークを言って笑いあう。ピーターが「僕と君は友達?」と聞くと、フランクは「そうだな。友達だ」と答える。

個人的な希望として、ここがパニッシャーの終点であって欲しい。
彼は壊れ、傷つき、孤独ゆえに暴力から逃れられない人だ。だが、それはパニッシャーとしてのペルソナで、本当のフランクではない。子供を愛する愉快なパパだった時が、彼にはあったはずだ。
ピーターの目の前で優しく微笑み、彼を病院から脱出させるために「自らがピエロになって人々の気を惹く」という、かなり穏当な作戦を実行した、彼こそがフランク・キャッスルだと信じたい。
そう願うほど、希望にあふれたシーケンスだった。

孤独を手放したとき、力もまた手放すことができる。
そして彼らの力は、手放すべきものとして描かれている。

二人とも傷ついていて、それを望んでいるからだ。

スパイダーマンの力は”正しい”?

では、ピーターの力は”正しい”のだろうか。
彼も、力を手放すべきなのでは?

前提として、ピーターは素手でバスを止められるレベルの腕力を持っている。
たいていの犯罪者やヴィランはピーターほど強くないため、力を常に制御し、ウェブ(糸)をうまく使って、なるべく相手にダメージを与えないようにしている節がある。

が、今回はもう大変だ。
数年間の徹底的な孤独の末、それを象徴するような出来事を目の前にして、ピーターは爆発する。彼の場合、肉体の変異としてそれが現れる。
スパイダーパワーはさらに研ぎ澄まされ、手首から直接ウェブが発射できるようになるが、ピーターはそれを制御できない。
(余談だけど、あからさまに性的なニュアンスがあると思う。MJに新しい恋人ができたことがきっかけで、肉体的な衝動が抑えきれなくなる。この辺まとめて男性性のメタファーだろう。いや、4年もよく頑張ったと思うよ)

ハルクやパニッシャーは、力を抑えきれなかったピーターの未来だ。
他者を拒絶し、暴力の行使に麻痺した姿。それは、スコーピオンをボッコボコにしてしまうシーンに集約されている。積極的に相手をブン殴り始めた瞬間、彼は信頼しあっていた警官たちから白い目で見られる。

彼は必死で制御装置を作り、自分とジーン・グレイのパワーを抑制しようとするが、それは本質的な解決にはならない。(そもそも、他人のパワーを抑制しようとするのは思い上がりだ)
ネッドとMJと、もう一度友達としての時間を過ごしたことが、ピーターを救うのだ。
美しいねえ!!!

自分の中に新しく生まれた力に折り合いをつけた結果、対峙するザ・ハンドの忍者たちを「糸でくるむ」のが象徴的だ。
腕力でたたきのめす事もできるのに、彼は「ピーター・パーカー」であり、同時に「スパイダーマン」だからそうしない。

常に最も傷つけない手段で解決することを模索し続けるから、彼の大きな力は「正しいもの」として描かれる。

孤独はもうええでしょう

『BND』は、孤独に厳しい。

ジーンがMJを乗っ取ってピーターにキスするシーンは、これ以上ないほど残酷だが、あれはピーターへの罰だ。
仕方がない状況下だったとはいえ、ピーターは自ら孤独を選んだ。それに対する罰と僕は捉えている。

だからこそのラストシーンだ。ピーターはネッドを素通りしようとしたが、思い直して彼に話しかける。
先ほどとは逆で、孤独ではない道を積極的に選んだ。そんなピーターにとって何よりも素敵なプレゼントが、あのフィストバンプ。
ネッドの記憶が戻ることだ。
ネッドの記憶がすべて戻ったかは諸説あるが、中盤のMJとの対比という意味では、記憶が戻ったと考えるのが自然だと思う。なあ、その方がいいって。ピーターかわいそうじゃん。

さらには、ジーン・グレイにも罰が当たる。
彼女がピーターに行ったことは本当に残酷だ。
彼の恋人が彼を思い出した、苦労が報われた、と思った瞬間に、精神を乗っ取ったジーンが最低のネタバラシをする。

他人の苦労をあざ笑った彼女には、相応の報いが突きつけられる。『V-max』だ。
姉の失踪に関わっているキーワード『V-max』をなりふりかまわず追い続けたが、それはただの換気扇のメーカーの名前だった。彼女の姉が見た最後の光景。
彼女の苦労は報われず、能力は暴走する。

ジーンを救うのは、メイおばさんだ。彼女に必要だったのは、親身な大人だった。メイおばさんはこの世にいないが、ピーターの中に生きている。
「自分を大切にすることが、なによりの責任」と説く彼女の言葉で、ジーンは人を傷つけるために能力を行使しなくなる。瀕死のピーターの命を繋ぐために力を使うようになるのだ。

彼女の物語はこれから始まる。大きな力は、壊すことにも守ることにも使える。
孤独に苛まれて壊すだけだった彼女は、ピーターと関わったことによって、きっと良い方向に向かうのだろう。

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というような話を、妻とか、MURABANKU。の土屋くんとか、なんならまだ観てない人にもオブラートに包んで話しては、セルフで勝手に泣きそうになっている。

この二週間ずっとそう。

つまり、話せる相手がいる、ということだ。本当にありがたいね。