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リークと共にあらんことを

『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』は、来年の今ごろ公開予定だ。
僕は楽しみにしすぎており、たまに『ドゥームズデイ』を観た、という夢を見る。

先週見た夢も結構リアリティがあったが、メインキャストの一人がオダウエダの植田さんだったので、現実ではないと気がついた。
ちなみに植田さんはX-MENのメンバーだった。ハマり役だったので、「ちぇ、夢か・・・」と少しガッカリしてしまった。

12月17日現在、今作は予告編すら発表されていない。
マーベルスタジオにいけずを喰らっている状態である。

我々ファンにとって、予告編は一大コンテンツだ。
せいぜいが90秒の新規映像で、ドッグランに連れてきてもらったコーギーくらいハシャげる。
短くて可愛い手足をバタつかせ、場合によってはよだれも垂らす。
キャプテン・アメリカがミサイルでサーフィンしたらシッポを振るし、別世界のドクター・ストレンジが登場すればお腹を見せて喜ぶのだ。

そういう訳で、大勢のファンが『ドゥームズデイ』の予告編を今か今かと待っている。
となると、必ず起こるのは【リーク合戦】だ。

まず、自称・関係者のSNSアカウントが大量に発生する。
有力なリーク(タレコミ)情報を持っているよ、フォローしてね、というわけだ。

彼らの持つ情報は虚実入り乱れているため、基本的には信用できない。
SNSは投稿の反応の大きさでお金を稼げるプラットフォームだ。
そして、巨大なファンダムは新しい情報に飢えている。
間違った形ではあるが、需要と供給が嚙み合ってしまうのだ。あらあら。

それでも、数年前はかわいいものだった。
リークアカウントはPhotoshopやBlenderを駆使し、それっぽい画像を一生懸命作って投稿していた。

いまや、AIでリーク画像・映像は作りたい放題だ。

低コストで、時間もかからないAIの登場で、今年は山ほどフェイク情報がタイムラインに流れてきた。
偽の撮影風景、偽のコンセプトアート、果ては偽の本編映像!
しかもハイクオリティ。3年前なら信じていただろう。
いや、正直言ってもう見分けはつかない。言語化すら難しい、わずかな違和感だけが頼りだ。

もうウンザリ!と言いたいところだが、リークアカウントはあんまりブロックしないことにしている。
楽しみな映画の新情報の真偽で右往左往するのは、なんというか、好きなのだ。
AIの参入は、間違い探しの難易度が上がっただけとも言える。

結局、映画が面白いかどうかは本編を観ないとわからない。当然だ。
予告編や事前情報などはマーケティングの一環に過ぎず、映画そのものとはあまり関係ない。
どっちでもいい。でも、どっちでもいいことで騒ぐのは楽しい。

嘘か本当かわからないが、『ドゥームズデイ』のティザー予告は4つあり、『アバター/ファイヤー・アンド・アッシュ』の上映時に、毎週違う予告映像を流していく、という噂がある。
本当だとしたら、とんでもなく大胆というか、アホなやり方だと思う。
本当だといいな。

やかましい永遠希望者

死ぬのが嫌だ。

そりゃ基本的に皆そうだろうが、僕はレベルが違う。

永遠に死にたくない。
死ぬと無になる、という説が今のところ有力だからだ。

無になる嫌さと、未来永劫永遠にこの世を彷徨う嫌さを天秤にかけたとき、「・・・生”き”た”い”!!!」と心のロビンが叫ぶのである。

肉体は順調に滅びに向かっているので、早急なサイボーグ化や電脳化技術の普及が待たれるところだ。
培養液入りのシリンダーに脳がプカプカ浮いているアレ、あの状態も理想的である。

このように科学技術を使った”準・永遠の命”はフィクション中において否定されがちで、「命を・・・なんだと思ってやがるんだ!」という主人公の声が聞こえてきそうだ。
それに対しては「うるせーバカ」および「ホントそうですよね」といった、相反する二つの気持ちがある。
向こうの言ってることは正論だが、僕が無害な脳みそくんなのであれば、マジでほっといてほしい。

一方、『火の鳥』などに代表される、マジカルパワーによる不死の実現パターンもある。
マジカル由来の不死は、冗談抜きのガチンコ不死であることが多く、文字通り宇宙が滅んでも生き続けることができる。

全然かまわない。火の鳥の血、ショットでいかせてください。

「はたして12恒河沙年経ってもそんなことが言えるかな・・・?」という不老不死アンチの意見もごもっともだが、もうそんなの生きてから考えたらいい。
まず死にたくない、って言ってんの。こっちは。無とか勘弁だっつーの。

そもそも、人生は短すぎる。
読みたいもの、聴きたいもの、観たいもの、体験したいことの量と、せいぜい90年の人生の長さは釣り合っていない。
さらに自分の表現、アウトプットまでしていたら、何をかいわんやである。

最悪、永遠の命は無理でもいい。
いったん400年くらい生きさせてはもらえないだろうか。
いったん、いったんね。

そこから先は、400年後に考えさせてほしい。

文学フリマ

僕の家から最寄りの映画館まで、車で30分ほどかかる。
住んでいる町には本屋もなく、すなわちタワレコやディスクユニオンも無い。
ひとたび車がなくなると、すっかり文化から隔絶。そんな気分になる。

8月に車が壊れてからというもの、カーペットに突っ伏してインターネットを眺める生活を送ってしまっていたが、これは良くない。
文化的な生活は、自ら掴み取りに行くべきだ。

という訳で、『文学フリマ』の門を叩いた。
ドンドン! すいません、ビッグサイトですか。文学をください。

文学フリマは、いわゆる同人誌即売会の一種だ。
プロ・アマ問わず、みんなのオリジナル”文学”を、思い思いのやり方で表現する場所である。

何時間いたか覚えていないが、とにかくたくさん買った。
買った、というか。気が付いたらカバンが重くなっていたのだ。
日常におけるお買い物に比べて、”検討”のブレーキがかなり甘くなっていた気がする。
「あっ、ある。ください」の連続である。

あっという間にトートバッグはいっぱいになり、ヒモがギチギチと僕の左肩に食い込んだ。
次回はリュックサックで行こう。

現在、コタツテーブルの一角は、文学フリマで買った本と、その翌日にうっかり買ってしまった本で埋まっている。
本棚はすでにいっぱいなので、避難場所としてコタツテーブルが指定されているのだ。
この冬はこれらを読みながら、本棚を作って過ごそう。
車はどうなるかまだ分かっていないが、ちょっと文化が戻ってきたのではないだろうか。