※ 本稿には松本人志『VISUALBUM』収録のコント『古賀』のネタバレが含まれています。
映像コント『古賀』を忘れたことはない。
友人4人組でスカイダイビング寸前、というシーンから『古賀』は始まる。
「押してまうぞ!」「やめろや~!」などと、やんちゃなノリを繰り返している友人たちを尻目に、彼らの中の一人 “古賀” は、なんの前触れもなくヘリから飛び降りてしまう。
あわてて友人たちも続くのだが、着地地点に古賀は見つからず、彼らは最悪の事態を想像した。
警察に行くべきか? いや、ひとまず事情を報告しなければ、ということで、トボトボと古賀の実家に向かう彼ら。
恐る恐るインターホンを押すと、ガチャリとドアが開き、なぜか古賀本人が現れた。
「な、なんで家にお前おるんや!」
「いや、飛び終わったから、帰ってきただけやけど」
当たり前にそう答える古賀に、友人たちは絶句することしかできない。
美しいコントですよね・・・。
古賀は”空気を読む”という日常的な行為から、パワフルに逸脱した人間だ。
冒頭で友人たちが作っていた”ノリ”や”空気”は、古賀の意外な行動で壊れてしまう。
古賀はそれを気にしていない。恐れてもいない。
帰りたいから帰るし、「メシの時間なので」という理由で友人たちとの会話も打ち切る。
古賀には古賀の世界があるだけ。その事実をコントで切り抜いている。面白く、美しいと思う。
このコントを作った人を、僕は尊敬していた。
多面的で、奥行きがあり、なにより”人間”を感じられるコントが作れる人だった。
現在、彼の作るコンテンツはひとつも笑えない。
仮に僕に殺人の容疑がかけられたとしよう。
僕の出すコンテンツを鑑賞する人は「コイツ、殺人鬼かもしれないんだよな・・・。」という思考がぬぐえないはずだ。
その際、僕のすべきことは何よりも疑惑の払拭だ。
「やってません!なにかの間違いです!」と誰よりもデカい声で説明しないといけない。
疑惑は邪魔な想いと化し、ユーザーの鑑賞体験を損ねるからだ。
松本人志氏は、疑惑の払拭をしなかった。
性加害をしたのか、してないのか。
ちゃんとした説明もせず、裁判も途中でやめたから、よく分からないままだ。
どんなに面白いコントや番組が彼から出されても、「後輩使ってキショ行為をしていたかもしれないんだよな・・・。」と思ってしまう。
それが悲しい。
松本氏が曖昧なせいで、人は事実を予想する。
日常やネット上で、予想と予想を戦わせるバトルが繰り返されている。
予想と事実の境目も、また曖昧になっていく。
やがて、事実に目を向ける態度そのものに、否定的な声があがるだろう。
それも悲しい。
楽しいお笑いとは程遠い。
僕にとって『古賀』がコントの傑作であることは、今後も変わらない。
でも松本人志氏のコンテンツは、彼がちゃんと責任を果たすまで観ないだろう。
さようなら、松っちゃん。いままでお笑いをありがとう。
今のあなたがいなくても、僕は別にしんどくなかったよ。











