なんかゴチャゴチャ言ってて草

インターネットを眺め始めてから、20年弱が経った。

まとめサイトやニュー速(VIP)、各テキストサイトを読んでいたのは中学生の頃になる。
(β)時代のニコニコ動画や、安っぽいUIだったYouTube、mixiやTwitter(X)などのSNS。
その前身になった前略プロフィール。懐かしいですね。

時が経ち、人間共の進歩はともかく、インターネットは遠大な進化を遂げた。
そして、中学生のときに立てた誓いを、僕はいまだに守り続けている。
「w」は使わないぞ、という誓いである。

ネトゲのチャットが起源だったと思うが、主に「いま笑っております」という意図で文末に書かれていた「(笑)」が、いつの間にか「w」に略され、あっという間に主流になった。
打ちやすさと表現の幅(例えばwwwwwのようにいっぱい書くと、めちゃウケているように表現できる)のおかげか、2chで爆発的に広まって、ブログやSNSなどの非アングラ層へ広まっていった印象がある。

使わなかった。てこでも使わなかった。
そもそも(笑)とも書きたくない。
面白かったら「おもれー」と書くし、笑ったら「笑ってます」と書く。

「w」は「草」にほぼ取って代わられて久しいが、そっちも当然使ってない。
なんなら、それらに限らず、ネット用語を「自分の言葉」として使用しないようにしている。
そりゃネットに入り浸っているから、ネット用語はそれなりに知っている。使わないようにするためだ。

なぜか?
僕が使うとダセえからだ。

インターネットに詳しそうな風貌の男がネット用語で喋るのは、なんの意外性も無くてつまらないからだ。

僕は中学生の時点で、長髪で陰湿な瞳をしたサブカルBOYだった。
そんなヤツが「100m走最下位乙~www 3getロボだよ、ウィーンガシャン」とか言っててみろ。
役満だろ。

いや、別にいいんだよ。
人生ってそんな些事ですべてが決まるわけじゃないし、役満なりに友達もできただろう。
僕が選ばなかっただけ。その生き方を。

単語ひとつで大げさなのは分かっているが、これは信念の話だ。

ネットのユーモアはネットの文脈でしか活きない。
現実に飛び出した途端、文脈を失って死ぬ。そう感じている。
文脈を知っている仲間同士でやり取りするのは楽しいかもしれないが、それだけの世界は狭すぎる。

今後も使わない。
「使わない」と決めている同士たちも、勇気を持ってくれ。
沢山の仲間がいる。決して一人じゃない。
信じよう。そしてともに戦おう。
工作員や邪魔は入るだろうけど、絶対に流されるなよ。

オデュッセイア – マナーの鬼、見参

『オデュッセイア』は良い体験だった。
人類から「マナー」を奪ってしまった男が、めちゃくちゃ後悔しながら、少しでもマナーを取り戻そうとする話だった。

道中、チーズ作りが趣味の一つ目の巨人や、人間を捏ねて動物に変えちゃうおばさん等、人智を超えた連中と遭遇するが、それらは現実とも非現実とも明言されない。
すべてはオデュッセウスの幻覚かもしれない。
戦のしんどすぎる体験、そして自らの所業の罪深さに耐えきれず、ああいう風に語ることしかできなかったのかもな、と思った。

そんなオデュッセウスの旅を、バカでかいスクリーンで、バカでかい音で体験できるのは、映画館だけだ。
海が荒れて、雷が落ちると、ポップコーンの箱がびりびりと揺れる。
映画館でクリストファー・ノーランの映画を観るたび、「そうだった。この人は、音で観客をビビらすタイプでもあった」と思い出すのだ。
なにかド派手なことが起こると、本当に不愉快ギリギリの爆音が体を襲う。
キュクロプスの世にも恐ろしい絶叫、あれどうやって作ったんですか。耳をふさぐ寸前だった。

終盤は、急に『モニタリング!』みたいになる。
「ナメてたヨボヨボの浮浪者が、実は歴戦の戦士・オデュッセウスだったら?」というテロップが左上に表示され、右下では「殺される?」「殺されない?」と書かれたバーみたいなやつがクルクル回転していてもおかしくなかった。

作中で言及される『ゼウスの掟』は、オデュッセウスが解釈によれば「人と人の脆い絆を保つ」ルールのことだ。
贈り物や客人を大切にしたり、死者を弔うことで尊敬のバトンをつなぐ。
一見実利のない行動のなかに宿るのは、他者への思いやり、すなわち「マナー」に他ならない。

オデュッセウスは、トロイの木馬作戦において、それを破ったことを悟った。
トロイの木馬に限らず、ずっと前から行っていた、戦における侵略・虐殺・略奪こそ、絆を破壊する愚行だったことに気づいただけかもしれない。

そして、オデュッセウス不在の宮殿で乱痴気騒ぎを続ける客人たちも、それを破っている。
私利私欲のために、マナーを悪用して権力を手に入れようとしている。

オデュッセウスが旅路のなかで体験したすべては、マナー違反のしっぺ返しであり、本人もそう解釈した。
すべてのマナー違反に決着をつけます、マジすんませんした、という固い決意が引き起こしたのが、客人たちに向けた『モニタリング!』大暴れなのだろう。

マナーの鬼と化したオデュッセウスは、その正体を現した直後から、数十人を単独でボコボコにし始める。

人が大暴れに向かうロジックが積み上げられた作品は好きだ。
特に、普通は暴れない人が、暴れざるを得なくなるほど、理由が積み重ねられたものが。
結局は暴力でしか解決しえない悲しさや切なさが、「ホンマはこうなる前になんとかせなあかんのよね」という想いを強くさせてくれる。

ところで、今作で最も好きなキャラクターは、不埒な客人たちのリーダー・アンティノオスである。
「この人は、言い訳しようのないカスで、矮小な卑怯者です!」という描写がいっぱいある。嬉しいね。

オデュッセウスが暴れている間、マジでなにもしてなくて最高だった。
取り巻きが徒手空拳でオデュッセウス相手に頑張る中、「武器ガチャのナレーション」としか言いようのない役回りを見せてくれる。
彼にとってマナーなんかどうでもいいのだろう。
自分が快適で、尊敬されて、生きてさえいれば。他人はどうなっても気にしない。
彼もマナーの鬼からしっぺ返しを食らうが、そのやられ様が抜群で、僕は消音で拍手までした。

好きなタイミングでまた観たいけど、IMAXシアターはネトフリ感覚で観れるわけじゃないんだよな。
誰か自宅にIMAXシアターありますよ~、って方いますか。
僕と友達になりませんか?
あ、軽食も出してください。ほら、客人はもてなすものでしょう。

律儀バウム

PARIS on the City!のドラマー、阿久津がいなくなって、一騒動になった。
顛末はラジオ『小林ファンキ風格のfunfunfunNight!』で聞いてほしい。

事件当日は小林たちが心配して動き回り、結果的に大事には至らなかった。

ちょうどラジオの収録日、元気に働く阿久津に会えた。
ガラス玉のように大きい目をさらに大きく見開いて、「いや、ほんと、誠に申し訳ねえ」と言いながら、小林に治一郎のデッカいバームクーヘンを渡していた。

おお、律儀・・・。

バンドマンが社会的な行動をすると「えらいッッ!」と反射で思ってしまう。
バンドマンに「お礼に一品用意する」などという社会性を期待してはいけないからだ。
ジャイアンが劇場版で優しいと感心してしまうのと同じである。
地上波ではめちゃめちゃなくせに、映画ではのび太を助けるために頑張ったりするので、ギャップで好感度が上がるのだ。

とはいえ、阿久津ってそもそも律儀で正直なヤツだしなあ、などと考えていると、「寒ちゃんにも」と言いながら、もうひとつ治一郎の袋を出してきた。
嘘だろ、小林と同じバームクーヘンじゃないか。

ラジオを聞いていただければ分かるが、今回僕はなんにもしていない。
なんにもしていないどころか、なんにも知らなかった。

美味しいバームクーヘンをいただく資格は無いはずだ。
「俺にも?なんで?」と聞いても、「いやいや、ほんと、ほんとに」と阿久津は言うばかりで、ほんとになんなのかは全然わからなかった。
どういう事なんだ。これって、もはやジャンルは”律儀”で合ってるのか。

それはそれとして、バームクーヘンは好きなので断ることまではしない。
もちろん家族で食べた。
とても分厚いのに、フォークが沈み込むほどしっとりしていて、どんどん食べてしまう。うめー。

帰り際に、「阿久津がひとりにならないよう、皆で見守らないとね。天然記念物、吉祥寺の屋久杉として」と僕が声をかけた。
すると阿久津は、「やく・・・すぎ・・・? やくすぎ、って何?」とつぶやきながら、心底不思議そうな顔をしていた。

治一郎のバームクーヘンを買ってこれる常識があって、なんで屋久杉は知らないんだ。

WAH-WAH NOVELS

文学フリマに出ます。
キャ~~~。
ちゃんと出るの偉いでしょう。もっと褒めてくれてもいいんですよ。

今回は、友達である真暮あたり先生の隣で出展できるのが安心ポイントだ。
君たちが11/8(日)に非常に大事な予定があって、誰一人僕のブースに来られなくても、真暮と天気やハンターハンターの話をしていれば良いからな。
でも、できれば来てよね。

さて、僕はこういうイベントに出展したことがない。
ということは、サークル名というやつを考えなければいけない。
あんまり奇をてらったり、ふざけても得が無さそうなので、ちゃんと考えた。

その名も『WAH-WAH NOVELS』(ワウワウ ノベルス)。

ギターエフェクトの一種で、その名の通り、「ワウワウ」と音が開いたり閉じたりする。
あっちこっちに揺れ動き、読んだあなたに「そうきたか!」と思ってもらえるような、エンタメ小説を目指している。

主には、自作の短編集と、空中カメラのレコード『嘘つきなBaby』+ZINEのセットを販売する予定だ。
どれも僕が書いたものなので、僕が好きな展開しか起こらない小説が生まれた。良いことだ。
このブログにも載っている小説(加筆・修正済み)が数本と、書下ろしで構成されている。

短編集には、『My silly friend』『嘘つきなBaby』『少年ブルー』といったタイトルの小説も収録される。
そう、空中カメラの楽曲から着想を得た作品がいくつかあるのだ。
この場合、竜か田中にいくらかロイヤリティ的なものを払う必要があるのかもしれないが、まあ、わさビーフを数袋与えておけば、ごまかせるだろう。

そのうち、『嘘つきなBaby』と『少年ブルー』は、ZINEにして7インチレコードと一緒に販売予定。
楽曲と一緒にお楽しみください、という意図ではあるのだが、先に言っておくと、歌詞の世界観とはぜんぜん関係ない内容だ。
嘘についての偽童話と、ブルーという子供が主人公の偽ファンタジーが出来上がった。
あまり真面目に考えずに読んでほしい。

こんなに諸々ハッキリ書くと、もはや「やっぱできませんッした~~!ゴメンピ」とは言えないが、こういう風に自分を追い詰めないと『入稿』って出来ないんだな。
なんなんだ、『入稿』。
やることが多すぎるし、入稿を請け負う事業者も多すぎるだろ。
3社くらいにしてくれよ。目移りして作業にならないって。

はーーん。だいぶ後戻りができない。
ぜひ11月8日(日)の文学フリマ東京に足を運んでいただき、完成した書籍を手に取ってほしい。
『WAH WAH NOVELS』を、どうぞご贔屓に。